2026.9.20 みことばの光


 詩篇149篇は6節後半から恐ろしい言葉が出てきます。正しい解釈の必要な詩篇です。
148 篇の最後の節を受けて、主の救いを知る神の民が賛美の主体となります。主が歴史の中で繰り返し信じる民を救ってくださったからです。「新しい歌」とは勝利の喜びに満ちた新鮮な賛美です。「踊りをもって」「タンバリンと竪琴に合わせて」出エジプトの葦の海の渡河の後、モーセの姉ミリアムが賛美をリードしました。士師記ではエフタの勝利を娘が喜んで出迎えました。サムエル記では「サウルは千を討ちダビデは万を討った」と女たちが喜びつつ歌います。
しかし神の民の勝利はいずれも信仰の勝利であり、人の力を誇るものではありませんでした。4節「主はご自分の民を愛し、貧しい者たちを救いをもって装われる。」神は、愛のゆえに、助けを求める者に、救いを拒まれないお方なのです。
6節後半からきな臭くなります。「彼らの手には両刃の剣があるように。」国々に復讐し、諸国民を懲らしめるため。これを地上での復讐と理解すると大変なことになります。(あるいはそういう解釈をする人もいるかもしれませんが。)新約聖
書の光に照らすなら、「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するもの」です。すなわちサタン、悪魔との戦いです。主イエス・キリストが十字架の血潮で勝利し
たサタン、罪と滅びに対する戦いです。主はすでに勝利され、そして終わりの日の完全な勝利の時まで、今は小競り合いが続いている時代とも言えるのです。しかし小競り合いといえでも、武器なしに戦うことはできません。種々の武器が必要です
が、唯一の攻撃の武器が御霊の剣なるみことば、神のことばなのです。神のことばには力があります。これをしっかりと握り、終わりの時代に立ち続ける者となりましょう。