新潟福音教会

2024.1.21みことばの光


 先々週は詩篇67篇を学びました。この詩篇は祝祷に続く祈りなので、毎週、祝祷を受けている私たちにとって、とても重要なことを教えています。1節の言葉は民数記6章24節以下に記されたアロンの祝祷を反芻する祈りだからです。私たち礼拝者は、祝祷を受け、何のために新しい1週間の歩みに進むのでしょうか。68:2「あなたの道が地の上で、御救いがすべての国々の間で知られるため」と詩人は続けます。祝祷を受けることは、祝福を受けるためだけに終わってはならないことなのです。その後の私たちの生活を通して、その先の、神を信じる生活が、いかに祝された生活になるか、そして、神様が罪深い私たちを愛し救ってくださるということを世界中の人々が知ることができるように、私たちは祝福の祈りを受けて、それぞれの場に遣わされていくということをこの詩篇は教えているのです。その結果の3節5節は完全な繰り返しです。世界中の人々が真の神をほめたたえるようになることを願う祈り。そして、賛美の声に囲まれるようにこの詩篇の中心、最も重要な願いが4節に記されています。「あなたが公平に?さばき?導かれるからです。」神様が地上に公平なさばきを行ってくださり、世界中の人々がみな喜びに溢れる、そのために、私たちは礼拝に出て、神の御心を学び、それを遣わされた場所で行い、神の正しさを現わし、神の祝福を実際に体験し、そして世界中が喜び歌う、これが神様の計画なので、それが実現するように祈る祈りがこの詩篇なのです。これはただのビジョンではなく、6節、年毎の収穫を確かめながら神の民は祈りました。今年の収穫が守られた、今年祝福してくださった神が、来年も祝福してくださるように。今日まで守られた事実が、明日を期待する確かな信仰に続いているのです。
 詩篇68篇は少し長く、とらえどころがないように見えますが、前半は契約の箱がダビデの町に運び込まれた時の様子を背景にしています。1節が民数記10:35の祈りの確信となっているからです。契約の箱はモーセがシナイ山で十戒とその他の戒めを神から授かった時に作られました。その長い長い旅路が今完成しようという時、ダビデは力の限り踊った。当然のことではないでしょうか。3,4節はその喜びを今一度礼拝者に命じています。それは霊的な勝利の喜びの時でした。18節に戦勝の喜びは分捕り物が報酬として与えられる時でもあると述べられ、新約聖書エペソ4章8節に引用されています。旧約の史実は、イエス・キリストの死と復活をあらかじめ語る型でした。今日の私たちは、イエス様が十字架で死と罪に打ち勝って、天に昇られたので、天から聖霊とすべて善き賜物を与えられて、神のための働きをなすのです。