新潟福音教会

2024.2.18みことばの光


 先週の祈祷会は詩篇71篇を学び、教えられたことを分かち合いました。この詩篇は高齢になった時の祈り、9節「年老いたときも、私を見放さないでください。私の力が衰え果てても、見捨てないでください」また18節「年老いて、白髪頭になったとしても、神よ、私を捨てないでください。」との言葉から、詩人が歳を重ね、体力の衰えを覚えていたことがわかります。しかし今や、その弱さが、祈りの原動力となっていました。弱いからこそ、衰えているからこそ、神の助けが必要であり、また神は、私たちが弱さを覚えている時こそ、助けとなってくださるのです。
 年老いた詩人は、しかし経験を重ねたからこそ、過去を振り返ることができます。経験した者の特権です。5節「あなたは私の望み、若い日からの拠り所。」若き日においても、自分の力や知恵が自分を守っていたのではない、困難な時には、祈りの中で、神を避難所とし、そこで休み、平安と力をいただいたのだという信仰の助けの経験が、今一度、詩人を信仰に立たせます。また詩人は、自分の経験だけを振り返るのでなく、経験を越えて、6節「生まれたときから、あなたに抱かれています。」と、自分の生を受けた時のことを思い巡らし、自分が意識する前から神に守られて、無事誕生し、生かされて来たのだと洞察します。高齢にならなくても、今生きている誰もが、生きているならば、誕生の時に、無力であったにもかかわらず、守られて生かされたのだという神の守りを振り返ることができるのではないでしょうか。それは自分が神を求める前から与えられていた守りでもあります。
 そして7節は現在に続く試練を詩人が経験してことを伝える言葉です。「奇跡」とは、神が奇跡的に助けてくださるのでなければ、乗り越えることのできない試練を乗り越えて来たという意味です。「あなたが私の力強い避け所だからです。」神は実際、私が無力なものであるにもかかわらず、試練を乗り越えることができるように、力強い助けを備えて、今日まで導いてくれました。過去に自分を脅かした様々な危険が、今は遠ざかり、自分を脅すこともなくなったことを、私たちは、一つ二つばかりでなく、幾つか数えることができるのではないでしょうか。
 教会福音讃美歌413番『望みも消えゆくまでに』には同じ健全な信仰が表明されています。「数えよ?一つづつ、数えてみよ、主の恵み」神様がよくしてくださったことを、一つ一つ数える、その作業も祈りです。祈りつつその作業を積み重ね、神を賛美する時に、私たちは、肉体の衰えを覚える時にも、霊の力が新しく湧き上がってくることを経験するのです。