2025.4.13みことばの光


 詩篇108篇は57篇と60篇の後半が結合された詩篇です。先行する二つの詩篇の事情は背後に退き、詩人は再び神に拒まれたような(11節)状態の試練を経験していると考えられます。しかし困難な状況を訴えるよりは、自分の信仰の姿勢こそ大事、とばかりに、1節「神よ、私の心は揺るぎません。」と揺るぎない信仰を告白して祈り始めます。新たな試練に立ち向かおうとする決意の祈りを私たちに教える詩篇です。

 「私は歌い、ほめ歌を歌います。」賛美の歌を歌うことは、信仰の表明です。試練に立ち向かう時には、自分を鼓舞する必要もあるでしょう。賛美の歌を歌うことで、信じる力が湧いてくることがあります。そのままではうなだれてしまう心を引き上げてくれる愛唱賛美歌を持っていることは信仰生活の大きな助けになります。

 「琴よ、竪琴よ、目を覚ませ」ダビデは竪琴の名手でした。悪い霊に悩まされるサウルの心を慰めるほどの、人の心に響く音楽を奏でることのできる奏者。指が弦に触れたなら、たちまち楽器は素晴らしい音楽を奏でたことでしょう。しかし彼が今、目覚めさせたいのは、自分の手中にある琴ではありません。暁、人の手に負えない、新しい朝明けを待ち望んでいるのです。主の愛と正義の光が輝く明るい朝を、呼び覚ましたい。  そのために彼は6節「あなたの愛する者たちが助け出されるよう、右の手で救い、答えてください」と祈りました。「あなたの愛する者たち」という言葉は恋愛歌の語彙です。神に愛されていることを信じて、神が愛のゆえに助けてくださることを信じて祈るのです。11節で「拒まれている」状況を感じていても、です。神との関係は人格的な関係ですから、拒まれているように見えて、愛されているということが成り立つのです。祈りの背後には、神に喜ばれない罪を捨てる悔い改めの祈りと行動があったかもしれません。嫌われて、私も助けを求めない、となってしまえば、信仰はなくなる一方です。しかし、拒まれているように見えるなら、なお助けを求めて祈る、そのことで私たちは、神との距離を近づける道を見いだすのです。詩人は人による救いのむなしさを知り、告白しました。神の助けこそ、なくてはならぬ助けでした。