2025.5.4みことばの光
5/1日は『聖書に聴く』、通読箇所はレビ記25章。安息年「ヨベルの年」の規定について学びました。日曜休日の安息日なら私たちはよく知っていますし、馴染みがあります。しかし古代ユダヤには7年に一度の安息年が定められ、またこれを七倍して49年目と50年目には2年連続して安息年を守る「ヨベルの年」の定めがあったのです。
安息年には労働が禁じられました。種まき、刈り入れ、収穫をしてはならない。そんなに休んだら、食物はどうやって手に入れるの?私たちは真っ先に心配するでしょう。12節「野の収穫物を食べる」それだけでありません。21節「わたしは六年目に、あなたがたのためにわたしの祝福を命じ、三年分の収穫を生じさせる。あなたがたが八年目に種を蒔くときにも、前の収穫をなお食べている。九年目まで、その収穫があるまで、なお前のものを食べることができる。」なるほど、安息日の規定と同じですね。安息に入る前には、安息の日々に必要な分だけ、いつもよりも収穫は多くなるという。確かにそうですね。一人の人でも五十年働いたら、力がつき、働き始めた頃よりも、ずっと大きい収穫をみることができるでしょう。その時に、もっと働いて稼いで、とばかり考えるのではなく、49年目、50年目にはしっかり休む、そういうことを主は教えられたのです。農地もまた安息によって豊かさを回復する必要がありました。
またこの章には同国人との土地の売買、商売、お金の貸し借りの規定も記されてありました。同国人に損害を与えたり、だますような酷い仕打ちをしてはならない、そもそもお金儲けの対象ではないということです。そして経済的に困窮し、一時的に、助けを必要とした人々の保証も定められてありました。同胞からは利息を取らないこと。安息年には借金を帳消しにし、家に帰ることができるようにすること。それでヨベルの年は自由と解放の年、喜びの祝いとなりました。憐れみ深い神に救われたユダヤ人たちは、隣人にも憐れみと救いを示す喜びの年を、定期的に守り行って、共に歩む共同体だったのです。
(Jovel→Jubilo→Jubilate)