2024.9.15みことばの光


 先週の祈祷会は詩篇第四巻のスタート、第90篇"モーセの祈り"、でした。詩篇は"ダビデの詩篇"と言われるくらい、イスラエルの王にして詩人、音楽家ダビデ作の詩が多いのですが、たった一篇、出エジプトの旅を導いたモーセの祈りがあります。モーセは旧約聖書の最初の五つの書物をまとめた著者でもあります。それでそれらはモーセ五書、また律法の書、律法(トーラー)とも呼ばれ、ユダヤ・キリスト教の原理原則、土台を提供する書物でもあります。中でも創世記の1-3章は、万物の創造と人間の堕落を描いているので、キリスト教的人間観を教えています。神に造られた人間は罪を犯して原罪を持つ存在になったということです。そしてこの詩篇90篇は、その人間観を背景にもった祈りとなっているのです。この詩篇は人間のはかなさ、むなしさを徹底的に見つめている知恵の詩篇でもあります。
 1、2節は信仰告白です。神は私たちの住まい、神は永遠の神、二つの告白があります。この信仰告白の背景にも、罪人である人間は地上で永遠に生きられない、有限の命を生きるほかない存在であるという理解があるのです。地上で永遠に生き続ける人間がいるでしょうか?いないのです。どんなりっぱな家を構えても、そこに永遠に住み続けることはできません。私たちは神から出て神の元へ帰るべき存在なのです。ですから1節「主よ、代々にわたって、あなたは私たちの住まい」なのです。
 この神は、いつから存在し、いつまで存在するのか。有限な人間は神の全てをわきまえることはできませんが、少なくとも、天地創造の以前に神はおられ、そして、未来永劫限りなく、神は存在し続けるお方であろう、そう考えることができます。神は神であられるので、永遠に消え去ることはない、絶対的な存在者なのです。
 創世記3章には人間の最初の罪とその結果の呪いが記されています。19節「あなたは顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」詩篇90篇3節はこの神のことばを反映しているわけでず。あなたは人をちりに帰らせます。「人の子らよ、帰れ」と言われます。これは神の元へ帰れ、という意味ではなく、その肉体はたましいを失って組成していた物質に帰らなければならないということです。しかしだからといって人間の存在は虚しくないことが12節、14節、17節で謙虚に控え目に願われています。旧約聖書の中のユニークな書物”伝道者の書”も同じ思想を徹底的に展開しています。