2024.9.22みことばの光
先週の祈祷会は詩篇第91篇でした。90篇は「代々にわたって私たちの住まい」なる主への信頼、将来の住まいについての希望を確認したことですが、91篇は「いと高き方の隠れ場に住む者」についての詩篇。神の「隠れ場」は未来ではなく、現在の居場所です。今ある危険から私を隠してくれる隠れ場です。目に見えない霊的な隠れ場の真実は、どこにあるのでしょう。コリー・テン・ブーム著「わたしの隠れ場」という本のことが思い出されました。
良い書評を見つけることができましたので紹介します。物語は、オランダで始まります。コリーは、時計屋の父、姉と暮らしていました。記念パーティには、市長もやって来る家でした。ところが、1940年平和な生活が一変します。ユダヤ人たちが迫害を受け、オランダの有志たちが彼らを救出し始めたのです。空襲の晩、コリーは幻を見ます。家族友人たちが馬車に乗せられ、遠くに連れて行かれる夢でした。牧師の兄は非合法な救出に関わっていました。助けたユダヤ人たちは郊外に逃がしていたのですが、やがて家が足りなくなりコリーの家に住むことに。6人のユダヤ人のために隠し部屋が作られました。
しかしついに家は襲撃され、彼女たちは逮捕されます。80歳を過ぎた父親は「従えば釈放」と言われますが、「帰ったら、再び救出活動を行う」と答え、収容所に行き10日後に亡くなります。6人のユダヤ人は1人を除いて他は無事でした。
姉妹は各地を転々とし、最後は最も劣悪なドイツの収容所に送られます。姉妹は、どんな逆境でも神への感謝を忘れません。コリーは同意しませんでしたが、姉はベッドを這うノミのことまで神に感謝しました。実はノミがいたせいで恐ろしい看守たちが彼女たちの側へ近づかなかったのです。姉妹は囚人たちと聖書の言葉を分かち合い、怒声飛び交う28号棟は少しずつ平安を取り戻します。「彼らは強制収容所という病んだ体の、祈りの心臓となった」と、コリーは言います。
彼女らの憐れみの心は、自分達を虐待するドイツの看守たちの魂の救いにまで及んでいました。姉は死の床で、コリーに囁きます。神が示された戦後の世界の幻でした。それは、ドイツにある収容所のことです。もう刑務所ではありません。それは、戦争の加害者であるドイツ人たちの心を癒すホームになっているというのです。コンクリートの壁はなく、有刺鉄線もなく、窓辺には、植木鉢さえあるというのです。
やがて戦争が終わり、コリーは故郷で心の癒しのホームをはじめます。そんなある日、ある団体の理事長が、コリーに会いにきました。オランダのリハビリの仕事のことを聞き、ドイツでも行なって欲しいと頼まれたのです。場所は決まっていました。政府から払い下げられた強制収容所だったのです。
私たちは、この本を通じて神が歴史に介入されることを教えられます。神が介入しなければ、コリーは収容所で死んだでしょう。しかし、彼女は生き延び、その経験を知らせてくれました。私たちはこの本を通じて、「イエス様が私の隠れ場だ」と言ったコリーの言葉の本当の意味を知ることができるのです。