2024.6.2みことばの光


  火曜日は第二回平和読書会でした。『戦争と平和主義』(いのちのことば社刊)より再洗礼派の平和主義について学びました。再洗礼派、アナバプティスト派は、宗教改革の主流プロテスタント教会と区別されるものの、御言葉に対する率直な実践のゆえに、兵役拒否、平和主義を主張し、行動したことは、一考以上の考察に値するものとしてテキストで取り上げられていました。
 序において、キリスト教がローマ帝国内で公認宗教となった時に、キリスト教徒が国家のために兵士として戦う、その責務の延長線上に正当戦争という神学が生まれた、との指摘がありました。確かにミラノ勅令を発布したコンステンティヌス帝の時代にキリスト教は多数派となり、為政者と同じ価値観を持って行動するようになったのです。(コンスタンティヌス体制)  ですから宗教改革者たちは、中世の聖書的でない様々な過ちに対して再考を促し、改革すべきは改革したわけですが、より過激な再洗礼派の人々は、政治権力そのものに対して距離を置き、政治権力に忠誠を誓わない姿勢を貫きました。新約聖書の中に「誰も二人の主人に仕えることはできない」(マタイ6:24)、という言葉があり、それを政治との関係で実践すべきと考えたからです。(しかし新約聖書の中には「カエサルのものはカエサルに」という言葉もあり、主イエス様は、政治的な事柄を一切否定したわけではないのです。)
 第一次世界大戦の時に彼らは、兵役拒否すべきと信じても、組織的に展開する準備ができていませんでした。個人や個別の教会が兵役拒否を主張するにとどまりました。その反省があり、第二次世界大戦の時には、アメリカのフレンド派(クェーカー)、ブレズレン、メノナイト教会は共同して政府と交渉し、兵役の代替として民間公務(Cicilian Public Service)の制度を獲得しました。彼らは平和の具現を信仰の根幹に関わるものと理解し、教会が立つか倒れるかを決める最重要課題と認識しました。信徒の中には平和のために殉教する者もいました。
 第二次世界大戦のおり彼らは、@民間行政官が良心的兵役拒否者の判断を判定すること。A徴兵局は徴兵された信徒を民間行政官に送り、軍の管轄下に入れないこと。B歴史的平和教会が兵役拒否者の管理に関わることを要求し、1940年の『選択徴兵法』にはこの要求がある程度反映されました。信仰と政策の交差点で成立した歴史です。しかし代替措置は国策への批判がなく、補完するだけなので問題、との考えもあります。戦争という巨大な悪に対峙することを避けたのではないかとの主張もなされているのです