2025.2.23 みことばの光

 詩篇104篇は、「詩篇という銀河の103篇と並ぶ1等級のふたご星」とキドナー先生は称しています。この度学んで「まことにその通り!」と感動ひとしおでした。103篇もすばらしい詩篇でしたが、それに勝るとも劣らない。

 讃美歌3番の元歌と言われ、なるほどと思いました。讃美歌3番の特徴は連打音です。2小節目、4小節目、6小節目と繰り返して連打音が響いた後、2段目では、連打音が連続してじわじわとクライマックスに迫っています。それが歌詞の世界と見事にマッチしているので、歌い終わると茫然自失してしまい、力強く賛美したという記憶は残るのですが、何を歌ったのか、最後には小さな自分と圧倒的な神のみが残ります。

 キドナー先生の注解を通して教えられたことは、この詩篇がエジプトのアケンアトンの太陽賛歌と酷似していて、おそらく詩人はその文献を知っていただろうということ。似ているだけに相違に詩篇のメッセージがあるのだと。それは、太陽をたたえるのではなく、太陽を造られた方を讃える、それが詩篇であると。もう一つは、104篇、エジプトの詩歌を意識しつつ、模範としているのは明らかに創世記1章。そして、創世記1章の「後」の世界を詳述、しかも生き生きと彩色で描いているという。自然界の、人間を脅かす様々な事象、生き物も、創造者のもとで、世界を楽しく豊かな場所にするばかり、とのことです。

 とりわけ印象的だったのは、19から23節、太陽と月を造られた神は、人に仕事と休みを与え、その全てを見守っておられるとのこと。「おはようからおやすみまで暮らしを見つめるライオン」ライオン・グループのキャッチフレーズが思い出されました。ひょっとして創業者は?と調べたら、「そろばんを抱いた宗教家」と呼ばれたクリスチャン。新潟の柿崎にいたことも小林富次郎さんでした。

 世界は全て神の創造の栄光を現している。その詩篇の結びは「わがたましいよ」と結ばれます。双子詩篇のしるし。世界を見つめつつ、自分の心のすみずみまでも見つめ、神をほめたたえる。詩篇は益々ひたすらの賛美の世界へ、突き進んでいるようであります