2026.4.26 みことばの光
詩篇136篇は聖書を開くとすぐに、形式の整えられた歌であることがわかります。すべての節の二行目に「主の恵みはとこしえまで」という結びの言葉が繰り返されているからです。
しかしキドナー師はこの訳文、難しい、と述べます。ヘブル語のシンプルなリズムが訳出されていない、とのことのようです。そして20世紀フランス、イエズス会修道士ジョセフ・ジェリノーの翻訳詩篇から「その愛に終わりなし」という訳を採
用しています。ずばり明確なイメージの伝わる訳です。「恵み」、「愛」はヘブル語で「ヘセド」。契約に基づく愛で、感情的な愛とは異なります。約束した相手に契約のゆえに誠実を尽くす、これが神の民に対する愛であり、私たちもまた神に愛を以って応答し、ゆえに神の戒めを守り行うことは、神を愛する誠実さを表す行為となります。しかし圧倒的なのは神ご自身の誠実さです。 1節「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。」神のいつくしみ深さを思い出しましょう。私が今日まで生かされていることを振り返るなら、神のいつくしみ深さは、幾つもあげることができるでしょう。蛇足ですが、この部分も、訳文は少々しまりに欠けます。「主はまことにいつくしみ深い」は、ヘブル語では、“キー・トーヴ”「主は良いから」という単純な言葉です。トーヴ「良い」には深い意味があることを分かってほしい、日本人翻訳者の気持ちが伝わってきます。しかし言葉は単純。もしかしたら現代のラップミュージックのようなリズムがこの詩篇にふさわしいかもしれません。神の創造のみわざ、暗闇の支配からの解放、敵に対する勝利の歴史が謳われた後に、23,24節では「私」が主語になります。私の人生における感謝を、思いめぐらしつつ神に感謝をささげましょう。