2024.9.29みことばの光

  先週の祈祷会は詩篇92篇を学びました。詩篇第四巻は公同礼拝に関する詩篇が続いています。92篇には「安息日のための歌」という題がついており、確かにその内容は安息日の礼拝、賛美に関する教えとなっています。「安息日」という言葉は、その日が「休み」の日であることを教えています。私たちは創造主が創造の御業を終えて七日目に休まれたように週に一度休みの日をもうけます。私たちには休みが必要であり、しかしその日は単なる休みの日ではありません。共同礼拝、聖なる会合の日であり(レビ記23:3)、強いられた義務ではなく、神との交わりを喜ぶために時を用いることが望ましい日であります。この詩篇の中には、安息日を尊ばない者が栄えても、それは束の間に過ぎないことが描かれ、対照的に、安息日を聖とする者は、繰り返し力をいただいて、年老いてもなお実を実らせることが約束されています。

 1節「主に感謝することは良いことです。いと高き方よ、あなたの御名をほめ歌うことは。」「ほめ歌を歌う」という言葉はヘブル語で”ミズモール”、詩篇の原題でもあります。そしてそもそもの意味は「楽器を奏する、伴奏付きで歌う」という動詞です。つまり、主を賛美する歌を歌うこと、楽器を用いて、音楽を用いて神を賛美することは、「良いこと」であるという賛美の基本的な価値、意味が教えられているのです。音楽そのものは良いことのためにも悪いことのためにも用いられます。アウグスティヌスは音楽の効用を説くと共に、私たちの心が神を覚えることでなく、音楽に奪われるなら悪であると教えました。カルヴァン派もルター派ほどには音楽を手放しで賛美せず、礼拝での使用に非常に慎重かつ厳格でありました。しかし詩篇は、主の御名をほめ「歌って」神への神への感謝を言い表すなら、それは良いことに違いないというのです。賛美はそもそも良いことなのです。それは神にとって良いことです。良いという言葉は創世記1章で神がお造りになった全てのものを良かったと言われたのと同じ言葉が用いられています。つまりそれは神の愛の対象として愛おしく、良かったのです。ですから私たちが神への感謝を歌で言い表すことも、神が愛といつくしみの思いをもって喜んで聴いておられるので「良いこと」なのです。もちろん私たちにとっても「良いこと」です。心の中で感謝するだけでなく、感謝を祈るだけでなく、歌うことで、神が良いお方であることはますます心に刻まれ、私たちの信仰は強められ、高められ、心は自由を得て解放されるからです。私たちが礼拝、賛美を通して喜びを感じていることは、賛美にふさわしいことなのです。