2024.7.14みことばの光


  詩篇85篇は困難の中から、未来について確かな希望をもって祈る希望の詩篇です。背景は、バビロン捕囚の後、帰還したユダヤ人たちの困窮の状況が、この詩篇に近いと言われています。しかし神の民には確かな希望を抱く理由がありました。
 そもそもバビロンの地で、支配者がカルデヤ人からペルシャ人クロスに変わったこと、そしてこの王が寛容で、ユダヤ人たちにエルサレム帰還、神殿再建を命じたということだけでも、失意に沈むユダヤ人たちにとっては青天の霹靂でした。ただし預言者の言葉を心に刻んでいる敬?な人々にとっては、予告された回復の時でもありました。(イザヤ44:28)
 だから詩人は85篇1-3節で信仰の確信を語るのです。「主よ、あなたは御自分の地に恵みを施し、ヤコブを元どおりにされます。」バビロンに居た時には、まさか故郷へ帰る日が来るとは想像もできなかった。しかし私たちはエルサレムに戻ったではないか。神殿を再建することだって、神様が助けてくださるのだ。身近に起こったこれまでのことを土台に、詩人は主を信じ、未来を信じる信仰へ、人々を誘っているのです。
 有名な10節は神様の導かれる未来の奇跡的な光景です。「恵みとまこと」、「義と平和」はそれぞれ対立する概念です。「恵み」とは値しない者に与えられる報い。「まこと」は、誠実であり、報いを受けるに値する当然のこと。「義」は正義を要求しますから、私が正しい、あなたが間違っている、とすることで人の間には「平和」とは真逆の争いが生じます。ところがこの矛盾する事柄をすべて解決したのがイエス・キリストの十字架でした。義なる神は罪を憎みます。しかし御子がその罰を受けてくださいました。義は果たされ、処罰は終わり、人は神と和解できるようにされたのです。御子が父に誠を尽くされたので、私たち値しない罪人が神の恵みを受けられるようになりました。詩篇の祈りの言葉はイエス・キリストにおいてかなえられ、私たちは奇跡のような美しい光景が歴史の中で実現したことを知っているのです。  13節、「義」は再臨の主に先立って私たちが行うべき「義」。私たちは、主イエスの地上での歩みを思い出しながら、その足跡に従って、神の愛を受けた者として生きることを期待されているのです。