2026.7.12 みことばの光


 先週の祈祷会は詩篇143篇でした。洞窟の詩篇142篇の続きのような厳しい試練の中でのダビデの祈りです。3節、ダビデは敵に追い詰められ、地に打ちつけられ、死んだ者のように、闇の中にとどめおかれていました。霊が衰え果て、心が荒れすさんだといいます。言い換えれば、もう信仰なんてどうだっていい、というような自暴自棄の状態、神に期待することを止めた諦め、自分の内側には信仰のかけらも残っていませんでした。
 ですがそんな時こそ、神に目を向ける、これが試練に立ち向かう方法です。5節、昔の日々を思い起こし、あなたのすべてのみわざに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。悪いことばかりに心を縛られてしまうことが危険なのです。酷い目に遭っている時に、これまでの人生、悪いことばかりじゃなかったということを思い出す必要があるのです。過去を振り返れば神の御手のわざがあったではないか。そして6節は、今、神に向かって手を差し伸ばす祈りです。思い巡らしは、今のこの時、神に期待する信仰を少しばかり生み出しました。
 しかし7節、危険が迫ってきます。問題は解決していないのです。8節、朝にあなたの恵みを聞かせてください。ダビデは闇が深いからこそ、夜がいつまでも続くものではないことを思い出しました。どんなに暗い夜も、必ず朝を迎える。それと同じように、主なる神は私を闇の中から朝の光へ導き出してくれる。ダビデは求めます。「行くべき道を知らせてください。」私たちにはそれぞれの召しというものがあるのです。他の人と比較することのできない、私についての神の計画。これが私についての神の特別な計画だと確信するなら、忍耐し、神の導きを切に求める力も湧いてくるのです。