2025.8.31みことばの光
先週の祈祷会は詩篇119篇の第三回目57-80節を学びました。ヘブル語アルファベット、ヘット, テット, ヨッドの三つの連です。 牧師は先週たまたまメシアニック・ジューの方とお会いしました。ユダヤ人として律法、教義、儀式を保持したままイエス様を救い主として信じたイスラエルの方です。東京で日本語を学びつつ、夏季旅行中とのことでした。「牧師は説教の準備にヘブル語を使いますか?」と聞かれたので、「次の祈祷会では詩篇119篇のヘット詩篇を学びます。」とお話ししたところ、ヘットの発音を教えてくれました。喉の奥を鳴らす日本語には無い音でしたので、とても参考になりました。お別れの前には「黄金のエルサレム」の素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。 ヘット詩篇の最初の単語は“へレク(割り当て)”です。「主は我がもの、我は主のもの」と言う時、それは、私たちがやがて 主ご自身を相続する、という信仰を告白しているわけです。「主こそ私の受け継ぐ全て。」という意訳があります。
私たちは地上の生涯でどんな遺産を残すことになるでしょうか。お金を稼いだ人、事業を成し遂げた人、社会に貢献した人。そうでなくとも、自分の子どもに無形の宝を残した親、先輩から後輩へ渡されたバトンもあるでしょう。しかしその人自身は、地上に残ることはできません。地上を去るとき、私たちは、天に何を持つことができるのでしょう。それは永遠の神ご自身なのです。聖書の神は、私たちの永遠の嗣業なのです。私たちは神ご自身を自分のものとする日が来るのだということです。ヘット詩篇の結びは“ヘセド”、神の契約の愛、神の恵みが地に満ちていると結びます。神を信じる者の生涯は、今、神の恵みに囲まれ、支えられながら、さらに完全な神の恵みの中へ、迎え入れられていく生涯なのです。