2026.8.9 みことばの光


 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。」ヨハネの手紙第一1章9、10節
 先週の平和読書会は『戦時下の教会を知ろう』9、戦争責任の自覚、戦後から今日に至るまでの日本のキリスト教会の戦争責任の自覚の変遷をたった4頁で学べる大変お得な学びとなりました(笑)。とても分かりやすく重要な事柄が学べますので、是非、本書をお読みいただきたいと思います。
 しかし内容は衝撃的でした。1945年8月15日、日本基督教団の幹部らは『大東亜戦争終結の詔書』を聞いて早速、詔勅必謹の祈祷会を開きます。「天皇の詔をいただいたならば、必ず謹んで従う」ための祈祷会。統理指令は深刻な懺悔でしたが、直前まで戦勝を信じ、最後まで戦い抜くつもりだったのが、一変、戦争に敗れてしまったことを懺悔し、新たな報国を誓う言葉でした。「我らはまず事これに至りたるは畢竟我らの匪躬の誠(我が身を顧みず主君に忠節を尽くすこと)足らず、報国の力乏しきに因りしことを深刻に反省し、今後たどるべき荊棘の道を忍苦精進をもって新日本の精神的基礎建設に貢献せんことを厳かに誓うべし。」まことの悔い改めには時間を要するということを教えられます。
 戦後22年、1967年にようやく、日本基督教団議長の名で、アジアを侵略した戦争への加担の罪の悔い改めがなされ、さらに韓国教会との交流によって神社参拝の罪責がより明らかになり、弾圧の被害だけでなく、妥協と挫折を真摯に見つめる取り組みが生まれたのでした。