2025.10.19みことばの光
先週の祈祷会は詩編119:129-152。ペー、ツァーデ、コフ詩篇でした。ペー詩篇の中心聖句は130節「みことばの戸が開くと、光が差し、浅はかな者に悟りを与えます」。「戸」がヘブル語で“ペター”。また「悟りを与える」が“ペターイーム”。冒頭だけでなく文末にもペーを頭文字とする単語が登場します。
聖書を読んでいて、はっと気付かされた、そんな経験を持っている人なら、納得の御言葉ではないでしょうか。聖書の読み方、とは、そのようなものです。何気なく読んでいたのに、はっと気付かされることがある。そういう経験を持つと、もっと教えられたい、と欲が湧いてきます。神様との交わりが深まる瞬間ではないでしょうか。
しかし読んでいても気分が乗らず、何を言っているのかわからない箇所も当然存在します。「みことばの戸が」開かない状態かもしれません。
聖書の中には、みことばの戸が開けられた時のことを鮮やかに描いた記事があります。ルカの福音書24章、復活のイエス様が、エマオの途上で聖書を説き明かされた時のことです。ルカ24:32二人は話し合った。「道々お話ししてくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではない
か。」この「説き明かす」という言葉がそもそも「開く」という言葉なのです。しかし今日イエス様は天におられます。私たちの側でみことばを「開いて」くださる方は誰でしょう。聖霊なる神様です。聖霊なる神様が私たちの隣にいつもいてくださって「教えてください」とお願いすれば、みことばの戸を開いてくださるのです。祈りつつ聖書を読みましょう。そしてこの私に語りかけてくださる神様の御声を聴き、神様との交わりを深めましょう。みことばの光は、私たちの心を明るく、軽くしてくれます。そして、悟りが与えられ、進むべき道が示されます。119:131「私は口を大きく開けてあえぎます。」御言葉の恵みは大きいので、詩人は貪欲に口を大きく開けたのでした。