2025.6.1みことばの光
先週の祈祷会は『恵みの分かち合い』でしたが、聖書通読箇所はヘブル人への手紙12章。簡単な解説をしたのち、恵みを分かち合ったことでした。
ヘブル人への手紙もローマ人への手紙と同じように、11章まで、少し難しい教理の解説が続きます。そして12章1節の「こういうわけで」という接続詞を境に、私たちを信仰の生活へと招きます。第一の励ましは、「多くの信仰の証人がたちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、走り続けようではありませんか」です。
『証人』という言葉はギリシャ語でマルテュス、後の時代に『殉教者(martyr)』の意味を持ちますが、第一義的には証人、すでに信仰の道を走り終えた人、その道を走り抜くことが可能であることを『証明した人々』のことです。彼らは、物見高く、私たちの信仰の戦いを見物しているのではなく、またただの応援団でもなく、「わたしだって走り抜いたのだから、きみにもできるよ!」と優しくささやきかけてくれるベテラン選手のような存在です。聖書に登場する人物は、イエス様以外、完全無欠な人は一人もいませんでした。誰もが欠点を持っていて、罪を犯すこともありました。しかしその欠点を補う信仰、神の助けをいただく信仰の道を私たちに示してくれたのです。聖書は決して模範的な理想ばかりを語る書物ではありません。むしろ人間の現実に即して、救われる道、試練を乗り越える道を教えているのです。
2節「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」改めて諸訳を調べたら「手ほどきと仕上げをなさる方」(前田護郎訳1978年)という言葉に出会いました。なるほど!です。主イエスは地上に来られて、まさに弟子たちと共に生活し、信仰生活の初歩から始めて、一緒に行動し、すべてを教えられました。指導者ですけれども、それは手ほどき、と言える手取り足取りの指導でした。そして信仰は、イエス様が完成させてくださる。私一人の努力の道ではありません。イエス様に頼ってこそ、私たちはゴールに辿り着いていくのです。わたしの信仰を完成してくださるイエス様に信頼して新しい週も歩みましょう。