2025.9.28.みことばの光

 
 先週の祈祷会は詩篇119からヌン詩篇、サメフ詩篇、アイン詩篇を学びました。ヌン詩篇の最初は有名な聖句「あなたの御言葉は私の足のともしび、私の道の光(105 節)」でした。ヌン詩篇は英語ではN、日本語では「なにぬねの」の音で始まる言葉が全ての節の頭に使われていますが、「ともしび」はネール。一つのともしび、です。聖書の時代には、足先に灯火を灯して、踏み出すごとに、一歩先が照らされたそうです。踏み出すならば、光が先を照らすのです。暗い闇夜に、神様のくださるあかりは、小さくとも、行くべき道を照らす一条の光となります。聖書のみことばを読んでいると、聖霊が働いてくださって、希望の思いが心に生まれて来ます。道の選択に迷う時、目先の損得ではなく、神の喜ばれる道を選ぶ知恵に導かれます。
 続く106節は「私は誓う」ニシュバティーという言葉で始まります。詩人はひどく苦しんでいるのですが、そのことを訴え、理解してもらう前に、自分の立ち位置を明らかにしています。祈りは、神に喜ばれる祈りであってこそ、速やかで確実な神の応えに出会うというものです。「あなたの定めを守ることを誓う」と宣言した上で、彼は「ひどく苦しんでいる」と苦境を訴えます。119篇は技巧を尽くしたアルファベット詩篇ですが、これは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の歌会ではなく、終わらない試練に苦しんでいるからこそ、徹底的に祈りに自分を献げるための“言葉尽くし”なのです。
 108 節の冒頭はニドゥボート。「進んで献げる」献げ物のこと。この所献金について学んでいますが、旧約聖書の昔から、献げ物はいつも自発によります。これもまた信仰の表明をなして、神の応えを求める祈りです。
 109 節はナプシー。「私は私の命をかけて」。新改訳は「それでも忘れません。」としていますが、命がけ「だからみおしえを忘れない」ではないでしょうか。