2026.1.18 みことばの光

 
 先週の祈祷会は詩篇126。背景は南北王国滅亡後、捕囚後のペルシャ王キュロスによるエルサレム帰還命令を受けて、神殿が再建された時の前後との説があります。それで旧訳では1節、主が捕らわれ人を返してくださったとき、との訳もあるのですが、原語の意味は限定的でなく、広く様々な試練からの回復を指す言葉が用いられています。解釈のヒントとしてエズラ記3:8-13の神殿再建、定礎式の涙と喜びを参照にするのはよいでしょう。
 しかし詩人の置かれた現実は4節、ネゲブの流れが流れていない状態。砂漠のように干からびた厳しい不毛の状態でした。1-3節は、しかし主は大いなることをなさって、私たちは喜んだ、そういう過去があるので、今も試練に打ちのめされることなく祈っているのだ、ということです。あの日のように、元通りにしてください、という祈り。主はすべてを元通りにされるという信仰。
 パレスチナの南部の砂漠は雨季になると一挙に激しい雨が降り注ぎ、涸れ川が奔流、激流となります。草一本なかった砂漠が、一夜にして花咲く場所に変わることもあるそうです。天からの恵みが激しく降り注ぐなら事情は変わる、そう信じて祈る根拠があるのです。5-6節は農耕を例えに用いています。こちらは天恵だけでなく人の営み、役割があります。涙とともに種を蒔く、農作業のしんどさです。夏の暑さ、冬の寒さ、繁忙期の忙しさ、農業に労苦はつきものです。そして現実の農業には収穫の不確かさもありますが、詩篇は違います。労苦した者は必ず神様が報いてくださると信じる理由があります。主は、御民を顧みてくださるからです。
 「主は彼らのために大いなることをなさった。」詩篇126:2