2025.9.14.みことばの光

 
先週は聖書通読が『伝道者の書』に入りました。「みことばの光」誌は「この書を読む前に」導入の助けとなる解説を記しています。中でも重要な言葉は「伝道者は、誰もがうなずく導入から始めて、人々の心を神へと引き上げ、『神を信じよ、そこにこそ人生の問いの答えがある』との伝道説教をしているのだ。」の部分ではないかと思われました。伝道者の書の魅力を捉えつつ、決して高邁な書に終わらせてしまわない、その書の書かれた目的を見据えて言い当てた、飾り気のない、本質を突いた言葉と言えるでしょう。その言葉の通りに、伝道者の書は、多くの人を唸らせる、深く真実な言葉を以って私たちに語りかけてくるのです。これをしばらく思い巡らすだけでも、私たちは大変有意義な時間を過ごすことができるのではないでしょうか。人生の深いところについて、時には時間をかけてじっくりと思い巡らすべきです。ただし、その思い巡らしの最中で、もし神がいなければ、ということと、神がおられるなら、という展開を忘れてはならないというべきでしょう。これこそが伝道者の書の、深みだけでなく、答えを与える問いになるからです。 伝道者の書3章もまた非常に印象的な有名な御言葉をいくつもあります。1節「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みには時がある。」「時期」という言葉は「季節」とも訳せます。しかし日本のように四季の移り変わりの繊細な気候風土とは異なり、聖書の生まれたオリエントの地域は、強烈な雨季乾季はあるでしょうけれど、全く異なる気候風土の中でこの言葉は語られたと想像することは有益です。時の移り行く様に対する感覚が違ったとしても、いずれにせよすべてのことに定められた時がるということには、すべての人が頷かざるを得ないと思われるからです。また「天の下」という言葉も重要だとの指摘がありました。天の上には神がおられて、人の営みを見ておられる、と考える、有神論的世界観が、私たちに、自分を客観的に見る視点を与えてくれるからです。