2026.5.31 みことばの光
先週の祈祷会は詩篇139篇を学びました。この詩篇に霊感を受けた『神の猟犬』(“The Hound of Heaven”)という長編詩が19世紀イギリスの詩人フランシス・トムソンによって綴られています。その詩における「猟犬」は、逃げようとする人間の魂を、どこまでも忍耐強く、かつ確実に追い続ける神の愛と救済の喩えとして描かれています。「私は神から逃げた。夜も昼も、魂の迷路をたどって。」という有名な一節で始まり、主人公は神の束縛から逃れようと、様々なものの中に安らぎを求めるのですが、最終的に天国の猟犬である神の足音が近づきます。神は人間を罰するためではなく、愛のゆえに決して見捨てず、御腕に抱きしめるために追跡するのです。逃れることができない神の愛について、詩篇の7節から18節は印象的な言葉で歌い、キドナー師は詩篇中の頂点の一つと賞賛しています。
この詩篇を新約聖書の福音の光で照らした時に、曖昧な希望が、明らかなものに変化していることもわかります。8節、私が「よみ※に床を設けても、そこにあなたはおられます」、18節「私が目覚めるとき、私はなおもあなたとともにいます」。これらの言葉は、イエス・キリストが死んでよみがえられたので、はっきりとした希望になっているのです。すなわち、イエス様は死んで「よみ」にくだり、「よみ」に打ち勝って復活されたので、私たちにとっては「よみ」も光の届かない永遠の終わりの場所ではなくなったのです。18節の「目覚めるとき」とは、地上の生活の日常的な目覚めのことばかりでなく、死の後に永遠の神の国で目覚める時に、私たちは神と共に、主イエスと共に、また愛する家族、知人、友人と共に目覚めることになるのです。(※よみ=へブル語ではシェオル、穴、死後の世界)