2024.2.25みことばの光


 新約聖書テモテへの手紙第一2章1節には「王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。」との命令の言葉が記されています。これは伝道者パウロが、彼の弟子、次世代を担う働き人テモテに与えた言葉ですが、上に立つ人のために祈る、これは信仰者の務めであると教えられます。この新約聖書の命令は、旧約聖書では王の引き継ぎの時に、次世代を担う王のための祈りとして、教えられていました。詩篇72篇がその祈りです。作者はダビデかソロモンか、諸説ありますが、いずれにせよ、あるべき王の理想像が祈りの中に描かれているので、今日の私たちも、私たちの社会が優れた指導者によって導かれることを期待する時、上に立つ指導者について祈るべき祈りを、この詩篇から学ぶことができるのです。真の王、真のリーダーとはどのような人物か。
 1節「神よ、あなたのさばきを王に、あなたの義を王の子に与えてください。」王について求められる第一の徳は「義」、「正義」でした。「正義」をもってすべての「さばき」を行うこと。私たちの住んでいるこの国の政治家は、正義を尊んでいるでしょうか。これは上に立つ者として大切な資質なのです。他の何かが優れていても、正義を重んじない指導者は、指導者としての不可欠の資質に欠けているということなのです。しかも聖書はこの義が「あなたの義」つまり「神の義」神に由来する正義だと教えており、神が王に与える義だと言います。
 政治家は法律を知らなければなりませんが、法律は神の義を探り求めてきた人類の叡智の結晶でもあります。不完全であっても、その法にのっとって、さらに現実に適合する正義を行うよう、権威を委ねられた代務者が、これを正しく行うように、私たちはとりなす祈りの責任を委ねられているのです。
 2節の2行目には、公正をもって、苦しむ民をさばくことも、真の王の務めであると教えられています。弱者を助けることは、この詩篇全体にわたって、真の王に期待されていることです。4節、苦しむ者たちを弁護すること、貧しい者の子らを救うこと、対照的に虐げる者どもを打ち砕くこと。12節、叫び求める貧しい者や、助ける人のない苦しむ者を救い出すのも王の仕事。13節、弱い者、貧しい者をあわれみ、いのちを救うこと、14節、虐げと暴虐からいのちを贖うこと。彼らの血を尊いと見ること。
 弱い者が苦しむままに放っておかれることを天の神は喜ばれません。私たちは曲がりなりにも主権在民の民主国家で生活しています。主権者としての責務を全うするためにも、祈りつつ行動しなくてはなりません。また為政者のためにもとりなしの祈りが必要なのです。