2024.6.16みことばの光


  詩篇82篇は、まことの審判者なる神に、正しい審判を求める祈りです。私たちは正義の行なわれていない偽りの社会を目の当たりにしていますが、そのための祈りは、はっきりと教えられているのです。祈りは私たちの務めです。正しい審判を求める祈りは、神こそが唯一の審判者であることを確信する信仰告白で始まります。
 1節「神は、神の会議の中に立ち、神々のただ中でさばきを下す。」解釈を必要とする言葉があります。神の会議とは、神が側近の者らと相談し判決を決めるように読めますが、そうではありません。ここに呼び出された神々は、相談を受けるのではなく、審判を受けるために召喚されています。神々については諸説ありますが、この世の権威者たち、そしてその背後にいる悪霊たちです。エペソ6章12節がよく説明しています。その言葉は、神話的世界観のようにも読まれましたが、今日ではむしろ現実と言わざるをえない状況になっています。世にはびこる陰謀論に惑わされてはなりません。しかしこの世の権威者たちとその背後にある悪霊の働きは、御言葉によって正しく見抜かなければならないことなのです。
 正しいさばきを求める祈りは、高い地位にある者のなすべきこと、なすべきでないことを思い巡らします。やってはならないことは2節、悪しき者たちの味方をすること。なすべきことは3節、弱い者、苦しむ者を助けること。今日、日本の国も貧富の差が拡大する格差社会になってしまいました。神を信じる私たちは、弱い者、苦しむ者を助けなければなりません。
 5節から7節は分析です。神に教えられない人々は、知ることも悟ることもありません。暗闇の中を歩き回っている。何をなすべきか知らないし、その行先も見えていないのです。そして地の基はゆらいでいる。そういう社会は、人の生活に確固たる基盤を与えません。詩人はそういう世界に君臨している権威者たちに向かって語ります。「おまえたちは神々だ。」確かに神はあなたがたに高い地位を与えた、ということです。しかし高い地位にあぐらをかき、悪を行い続けるならば、神に立てられた権威であっても「君主たちの一人のように倒れるのだ。」盛者必衰は世の理(ことわり)。神のみが唯一の審判者として立たれるのです。そのことを詩人は思い巡らし確信し、その上で確信に基づき祈ります。8節「神よ、立ち上がって、地をさばいてください。」その理由は「あなたがすべての国々をご自分のものとしておられるから」です。主の祈りの結びも同じこと。すべてのものの真の所有者は神なれば、私たちは正しいさばきを神に期待し委ねることができるのです。