2025.8.24みことばの光

 
 先週は久しぶりの祈祷会、詩篇119篇の第二回目33-56節を学びました。ヘブル語のアルファベット?ー、ワウ、ザインの詩篇です。(H,W,Zの詩篇と言っても良いでしょう。)  
33-40節のへー詩篇は、冒頭にへーの文字が必ず用いられる使役の動詞ヒフィル形が多用されることで、願いの祈りが連続する連となっています。幸福を求め、主の道を歩む人(119:1)は「何を願い何を祈るのか」との視点で読み解くことができます。それは「あなたの掟の道を教えてください」「悟らせてください」「あなたの仰せの道を踏み行かせてください」「あなたのさとしに傾かせてください(不正な利得に傾かないように)」「虚しいものを見ないように、目をそらせ、汝が道に生かしてください」「仰せのことばが成り、あなたを恐れるようにしてください」「そしりを取り去ってください」「ご覧ください」という祈りでした。信仰生活は、ただ私の努力で成し遂げるものではありません。神の助けを祈り求めて、必要な力は神様が全て与えてくださるのです。みことばは大切ですが、ただ読むだけでは自分のものになりません。聖霊が私の魂に教えてくださるのでなければ、みことばの深いところを知ることはできません。祈りつつ聖書を読むと、心に変化が現れます。詩人は「悟らせてください」と祈りました。読んで「はい、終わり」ではありません。悟るほどに読んで理解したい。腑に落ちる、「ああそういうことだったのか」と納得するほどに私たちは神の言葉に聞き入っているでしょうか。「仰せの道を踏み行く」とは実践することです。聖書の言葉は実際の行動に私たちを促します。「神を愛し、隣人を愛しなさい。」長崎の永井隆博士は自らも白血病と闘いながら「己の如く人を愛せよ」との言葉を実践しました。神の言葉を実践しようとする時、新たに見えてくる世界があります。この愛の教えは、神が私を愛してくださったので、という理由に基づきますから、人からの見返りを求めません。神の愛は永遠に変わらず注がれるので、私たちはいつも人を愛する力を神からいただくことができます