2026.8.23 みことばの光
先週の祈祷会では久しぶりに詩篇を学びました。146篇でした。全150篇の最後の五篇はいずれもハレルヤに始まりハレルヤに終わる賛美の詩篇です。私たちの生涯が神への賛美に終わるべきものであることを暗示しています。ハレルヤ(主をほめたたえよ!)との招きは、二人称複数(あなたがた)への招き、つまり神の民を礼拝賛美に招いているのですが、全体への呼びかけであると共に、一人一人の魂、私の魂への呼びかけでもあります。神の民の一員として私が魂の底から神へ賛美を献げることが求められているのです。
2節「生きている限り」「いのちある限り」という言葉は、私たちの生きる目的が、究極的には神の栄光を現わすことに向かうべきものであることを教えています。4節「霊が出て行くと」とは死の時です。霊とからだが分離すると、肉体は土に帰り、地上の一切のものとの関係が断たれます。その時私たちは、永遠の神の御前に、いかに生きたかが問われるのです。5節「幸いなのは、神を助けとし、主に望みを置く人。」永遠の神の御前に価値ある人生を歩んだ人は、神から永遠の冠を受けるのです。
牧師は先日『開戦前夜』という映画を見ました。太平洋戦争突入の年、政府はエリートを集め擬似内閣に戦争開始のシュミレーションを行わせます。結論は「日本必敗」でした。というのに、これを知りながら日本は開戦を迎えてしまうのです。近衛内閣は解散、東條英機は必敗を一番よく理解していたにも関わらず、空気には逆らえなかった様子が描かれていました。様々な問題があると思いますが、聖書は何千年も昔から「君 主を頼みとしてはならない。救いのない人間の子を」と教えています。まことに、人間には救いがないのだと改めて思い知らされました。 しかしヤコブの神は、すべてのものを造られた方。とこしえまでも真実を守り、虐げられている者のためにさばきを行い、飢えている者にパンを与える方。 敗戦国の日本が世界第2位の経済大国になるまで、どうして成長することができたのでしょう。これも様々な理由はあると言えますが、神は、かがんでいる者たちを起こされる神であったと言えないでしょうか。神は憐れみ深くあられます。 「しかし悪しき者の道は、主が曲げられる(9節)。」正義を行われる主を畏れ、感謝と喜びをもって歩む者となりましょう。