2024.8.11みことばの光


 詩篇88篇は詩篇150篇中、最も悲しい詩篇です。意気消沈している人、見捨てられたような人の魂に寄り添うことを教えられます。ここでは彼らの心の状態がことばになっていて、私たちがそのような人々の同伴者となるためのモデルになっているのです。詩篇自体に希望のきらめきはほとんどありません。しかし表題の情報がこれを埋め合わせます。神に見捨てられたような状況の中にいる作者は、ダビデ設立の聖歌隊の草分けメンバーとして生涯をまっとうした人物だからです。エズラフ人へマン、彼によって幾つかのコラ人の詩篇が伝えられ、詩篇の中の豊かな鉱脈の一つになっています。(42-49篇、86篇を除く84-88篇がコラ人の詩篇)
 重荷を負って落胆している著者の存在そのものに意味があります。たとい生き地獄であっても神の御手の中にあるならば、その人の存在は多くの実を結ぶことになるからです。主イエスは「一粒の麦、地に落ちて死なずば、一粒のまま。しかしもし死ねば、豊かな実を結ぶ」(ヨハネ12:12)と言われたからです。
 へマンは1節「昼 私は叫びます。夜もあなたのみそばで。」と祈ります。昼も夜も、彼は救いの神が祈りを聴いてくださると信じて、叫び続けていました。9節では「日ごとに」とありますから、叫びは一昼夜に終わらず"毎日"でした。2023年10月7日開始されたガザ地区の空爆は、今も終わることなく、死者数は最新情報で3万9623人と報じられています。殺害された子どもの数は1万4千人近く。「神よ、この残虐な愚行をやめさせてください。」
 3節から訴えられる詩人の状況は、まさに死に瀕する苦境でした。3節「私のたましいは苦しみに満ち、私のいのちは黄泉に触れていますから。」4節「私は穴に下る者たちとともに数えられ、力の失せた者のようになっています。」5節「私は死人たちの間に放り出され、墓に横たわる刺し殺された者たちのようです。あなたはもはや彼らを覚えてはおられません。彼らはあなたの御手から断ち切られています。」6節「あなたは私を最も深い穴に置かれたました。暗い所に、深い淵に。」
 唯一の光は彼が信仰を失わないことです。これほどまでの悲惨さの中でも彼は彼の祈りが神の御前にあることを信じて疑いません。13節「しかし私は、主よあなたに叫び求めます。朝明に私の祈りは御前にあります。」この詩篇の結びも暗闇の中にあります。しかし彼は生涯神殿奉仕者であり続けました。救いようのない悲惨を経験した彼の生涯が、神に用いられる生涯であったことに間違いはないのです。詩篇88篇は非常に貴重な、一人の人の祈り証です。