2025.10.26みことばの光

 
 先週の祈祷会は詩編119の最終回153-176節、?レーシュ、?シン、?タウ詩篇、三つ連でした。レーシュ詩篇ではラーアー:“見る”という語が繰り返されています。153節、私の苦しみをご覧ください。詩人が苦しみの中にあり、そのことを神に知っていただきたい、という祈りで始まっています。158節、詩人は、大勢の敵の姿を見ています。詩人は信仰の戦いの中にありました。しかし詩人は神の眼差しを再び自分に向けようとします。159節、ご覧ください。どんなに私があなたの戒めを愛しているかを。他ならぬ私の、神のことばへの愛を、見ていただきたい。それを神様に知ってもらえば十分なのだ。これがレーシュ詩篇の詩人の信仰でした。主に何を見ていただくべきか。私の苦しみでもなく、私を苦しめているものの存在でもなく、私のあなたへの愛、あなたのみことばへの愛。周りがどんな状況であろうと、私が神のことばを愛し、それを読み、それによって生かされる生活は、継続することができます。レーシュ詩篇の結論は160節、みことばのすべては真実!詩人は神のことば、聖書に全幅の信頼を告白したのでした。
シン詩篇の頂点は165節、“豊かな平安”、シャローム・ラブです。しかし“平安”というと心の問題にとどまりますが、シャロームはもっと豊かな広がりを持つ言葉です。完全性、健全性、福祉、安全、静けさ、友情、契約による和解などの意味があり、人の正しい隣人関係、神との関係、被造物との関係を示す語であり、心の内面の静けさから社会の秩序、戦争のないことにまで及ぶ広い概念です。詩人は神の教えを愛する者こそ、この豊かなシャロームを持つことになるのだと信じているのです。神の救いは、私たちにシャロームを約束するものなのです。
ところが長い長い119篇は衝撃的な言葉で終わります。「私は滅びる羊のようにさまよっています。」詩人は悟りの境地などに達していないのです。だからこそ「あなたの仰せを忘れません」と誓い、御言葉こそが私の迷いを終わらせ、迷わずゴールに辿り着く人生を導くために必要と信じたのです。