2026.1.25 みことばの光
先週の祈祷会は詩篇127。ソロモンによる、とのタイトルについて、野田師は内容が神の家たる神殿建設を成し遂げたソロモンにふさわしいとし、キドナー師は2節「愛する者」という語が第二サムエル12:25エディデヤと名付けられたソロモンの署名だとしています。また「むなしい」という語は、伝道者の書のそれとは別の語がですが、意味するところは同じです。人の営み三つが論じられ、いずれも主と共にそれを成し遂げるのでなければ虚しいこと、あらゆる営みにおいて主に信頼して事を行うことの大切さをうたっていると言えます。
2節「眠り」については嵐のガリラヤ湖上の船の中で眠っておられた主イエス様を模範とすると良いでしょう。父なる神様と完全な信頼関係にあるイエス様に、眠りを妨げる危険は存在しなかったのです。
また創世記11章の初めの記事と終わりの記事が、詩篇127篇全体の真実をよく例証しています。古代社会で言語が分化する前、人は町の守りのために天にも届く塔を作ろうとしました。ノアの大洪水を記憶する人類は、神によって守られることでなく、どんな洪水をもしのげる堅固な塔によって安全を確保しよう考えたのです。しかし神はことばを混乱させ高慢な人の野心を打ち砕いたのでした。神が共にいなければいかなる事業も虚しく水泡と帰したのです。他方、創世記11章の終わりでアブラハムの父テラが家族を連れてメソポタミアからパレスチナへ移動を開始します。小さな家族でした。しかしその子孫は神と共に歩む家族となりイスラエル民族にまで成長します。勇士の手にあった数本の矢が、やがて十分すぎるほどの矢筒を満たす矢となったのです。