2024.12.8 みことばの光
先週の祈祷会は聖書に聴く。イザヤ書62章を読み、教えられたことを分かち合いました。預言者イザヤは紀元前740年から690年頃までの50年の長きに渡り、南ユダ王国で活動しました。彼の活動中に北イスラエル王国は滅亡します。適切な警告を語ったイザヤの言葉は人々の信頼を得ました。しかし南ユダ王国の不信仰は続き、悪王マナセの時代に進みます。イザヤは、南ユダ王国の滅亡、その後の回復、救い主の登場を預言しました。最も有名な53章は、イエス・キリストを予告したと言われます。その救い主は、戦争に勝利する王ではなく、民の罪を背負って苦しみ、いのちを献げて贖いを為す、驚くべき苦難のしもべでした。
62章は神の言葉です。新改訳聖書は平仮名で「わたし」と書く場合、神のことを指しています。1節から5節まではヘブルの詩の技法、並行法が用いられ、二行で一つのことを述べています。1節「シオンのためにわたしは黙っていない。エルサレムのために沈黙はしない。」という言葉の意味は、神の民のために神は沈黙し続けることなく、語り、行動されるということです。神の民は旧約ではイスラエル、新約ではキリスト教会、神を自分の神と認め、信じ従い、神に望みを置くすべての民のために、神は行動されるということです。
1節後半「その義が明るく光を放ち、救いがたいまつのように燃えるまで」。神の願いは、神の民が義とされること。罪の汚れを拭われて輝くこと。私たちはイエス・キリストの十字架の犠牲を信じて神の前に義と認められました。1節の預言の言葉はキリストにあって半分実現しました。しかし、私たちが実際に清められ、完全なものとされるのはこれから未来のことです。なお神は熱心に働き続けておられるし、私たちも信仰の完成の時、再臨の時を目覚めて待ち続ける者なのです。6節「彼らは一時も黙っていてはならない。思い起こしていただこうと主に求める者たちよ、休んではならない。主を休ませてはならない。主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで。」主は休まない方。それを、あえて「休ませてはならない」と言っているのは、イザヤが民に向かって「神の働きの介在と介入を熱心に求めよ」と教えたことを意味しています。「求めなさい。そうすれば与えられます。」マタイ7章7節