2024.5.19みことばの光


  戦争を背景とする祈りの詩篇が続きます。しかも先週はエルサレムの廃墟の中で途方に暮れ
るような祈りであったのに対し、今回は、南ユダ、エルサレムから北イスラエルの同胞の遭遇した悲劇を覚えるとりなしの祈りとなっています。戦争の当事者でない者が、苦しみの中にある方々のためにどのように祈るべきか、教えられる詩篇ということです。
 詩篇80篇は北イスラエルの滅亡が背景となっています。紀元前721年アッシリア帝国サルゴン2世によって首都サマリアは陥落したのです。アブラハムが約束の地にたどり着いて最初に祭壇を築いたシェケムはこの近郊にありました。後のスカル、イエス様がサマリア人の女性と語らった井戸のある町でもあります。
 詩篇の副題には「アサフによる。賛歌。」とあります。ダビデ王の時代の神殿聖歌隊長アサフ。彼の名を受け継いだ聖歌隊が南王国ユダの都エルサレムでは活動していたのでしょう。南北王国はたびたび対立することがありましたが、北が滅亡した今、南の人々は同胞をあわれむ心からの同情心をもって祈ります。1節「イスラエルの牧者よ、聞いてください」このイスラエルは、北イスラエルの意味ではなく統一王国時代のイスラエルという意味です。「南王国にとっても北王国にとっても牧者なる神よ、聞いてください」という意味です。民にとって通常「牧者」とは国を導く王の称号として用いられました。しかし北の政権が国防に失敗した時、より頼むべき方はイスラエルのまことの牧者、神なのだと、神殿の聖歌隊は心して祈っているのです。「光を放ってください」とは、正義の光、悪へのさばきを求める祈りです。北イスラエルは背信の罪ゆえに滅んだという問題もあるのですが、しかし、契約の民に真実を尽くすのが神の正義ではないかとの理屈も成り立たないわけではありません。ケルビムは聖所の奥の至聖所、契約の箱の蓋の上に刻まれた像でした。二体のケルビムの上から目に見えない神が大祭司に向かって御言葉を発せられる。2節「エフライムとベニヤミンとマナセ」はヤコブの妻ラケルの息子と孫たち。エジプトの総理大臣となったヨセフ部族は、約束の地においても中央部、重要な地位を占めて、北イスラエルの中心でした。この北王国に比べたら、南ユダはずっと小さな取るに足りない王国だったのです。ところが先に滅んだのは北王国でした。詩人は北の部族の名前を呼んでとりなし祈ります。3節はこの詩篇のリフレインです。切なる祈りは、繰り返しを生みます。そして少しづつ発展します。3節「神よ」7節「万軍の神よ」19節「万軍の神、ヤハウェよ」とイスラエルの神の本質ににじりよる祈りです