2025.6.8みことばの光


  先週の祈祷会は『聖書に聴く』。列王記第一2章よりソロモン王朝の開始と確立を学びました。この章は、歴代誌第一22章9節を基準に理解する必要があります。なぜならそこにはっきりと主が「ソロモンの王座を堅く立てる」と言われたが記されているからです。ソロモンがダビデの王権を引き継ぐことは神の御心に定められたことでした。

 2-4節は、王としての心構えの基本です。2節「強くあれ、雄々しくあれ」3節「律法に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。」4節「心を尽くし、いのちを尽くし、誠実にわたし(主)の前を歩むなら、王座から人が断たれることはない。」イスラエルの王政は、今日の立憲政治のごとく、王が律法の書(旧約聖書の最初の五巻)を傍に置き、これに従ってなされるものでした(申命記17:18-20)。米国大統領は就任の宣誓において聖書に手を置く慣例がありましたがトランプ氏はこれを行わず話題となりました。

 5節からは問題のあった人々の処刑です。きっかけは異母兄弟アドニヤの不穏な行動。彼は1章で命拾いしたにもかかわらず、なお王位に執着を示しました。ソロモンの母バテ・シェバを通してダビデの側女アビシャグを求めたのですが、これは当時の社会において王位を要求するに等しい行動。新将軍ベナヤによって処刑されることになります。神のご計画を尊重せず、自分の意思で王になろうとしたアドニヤの意図が達成されることはありませんでした。

 ダビデ時代に将軍として活躍したヨアブの生涯は大変興味深いものです。サムエル記第二24章で御心に反して人口調査を行おうとする王に疑問を呈したのはヨアブでした。また19章で息子の死をいつまでも悔やみ続けるダビデを叱咤、民の前に立たせ、王の務めを果たさせたのはヨアブでした。しかし彼はアブネルとアマサを虐殺した罪を問われます。アブネル殺害は兄弟アサエルの仇討ち。しかしそれはアブネルを深追いしたアサエルの過ちでもありました。アマサは詰めの"甘さ"のあった人物ですが、油断している彼の不意をついた処刑はやり過ぎ。ヨアブは殺人の罪ゆえに裁きを受けることとなりました。