2024.11.24みことばの光
詩篇96篇は「新しい歌を主に歌え!」野田先生はバビロン捕囚から帰還を許されたエルサレムの住民の文字通り新しい時代を迎えた解放の喜びと感謝の賛美であったと推察します。しかしまた歴代誌第一の16章ではこの詩篇及び105篇106篇の一部が、契約の箱のエルサレム入場時の賛美として用いられているので、ダビデ時代からこれらの言葉は存在し、そして捕囚後エルサレム帰還のおり、再び意義深く取り上げられたと言えるかもしれません。
1-2節は「主に歌え」との言葉を繰り返し、抑えきれない賛美への衝動、溢れる喜びを伝えています。呼びかけられているのは「全地」。神賛美は、世界に唯一のまことの神に対する賛美ですから、全世界のすべての住民が招かれるのです。そして主に賛美をささげる垂直方向の礼拝の後に、水平方向に「御救いの良い知らせを告げよ」と伝道が命じられます。
5節に、偶像の神と異なる聖書の神の偉大さがはっきりと宣言されています。地上の諸宗教の神々は人の作った偽りの神。しかし、聖書の神は、作られた神ではなく、世界の全てのものをお造りになった神、創造者である、ゆえに、大いに賛美される方なのです。
7-9節は礼拝の次の段階に進みます。95篇では賛美からひれ伏す礼拝への進展が見られましたが、ここでは栄光と力を主にお返しすること、ささげ物を携えて来ること。聖なる装いをもって主にひれ伏し、御前におののけ、とすら命じられています。ささげ物において大切なのは、まことの王に喜んでもらえるささげ物を選ぶことです。礼拝の中心は、礼拝者の思いではなく、神です。また完全で聖い神の御前にふさわしい聖なる装いとは何でしょう。御子イエス・キリストの贖いの血によって罪きよめられ、義の衣をまとわせていただく以外に、ふさわしい衣装はないのです。
この詩篇のクライマックスは、王なる主の再臨です。その日、天は喜び、地は小躍りし、海も喜びで鳴りとどろきます。現在の世界は創造者の再臨を待ち侘びて呻いています。人間の罪が世界を破壊しているからです。しかし主は必ず来られる。義と真実を現してくださるのです。