2025.1.12 みことばの光
ーみことばの光ー
『全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。』(詩篇100:1)
新年最初の祈祷会は詩篇100篇を学びました。92篇から続く一連の礼拝への招きの詩篇の総括とも言える詩篇です。ここまでの流れでは喜びと畏敬が交互に現われ、まさに礼拝とは正しく神を畏れ、しかし神の愛を確信して喜ぶ時であると教えられたことですが、詩篇100篇は雲一つない頂上に到達したようです。ただただ喜び、感謝、賛美のみが、主の御前に献げられます。喜びの叫びだけが礼拝ではありません。しかし喜びの叫びは礼拝において神の愛に応答する私たちの愛の最高の表現です。私たちを愛しておられる神様に、心からの喜びの歌声を献げる者とならせていただきましょう。
今や全地が、まことの神賛美に招かれています。アドヴェントの有名な賛美歌のタイトルは「来ませ異邦人の救い主よ」(教会福音讃美歌69番)。救い主イエス・キリストは全世界の人々を差別することなく分け隔てなく御前に招かれる“全地”の救い主でした。全世界が神との交わりに招かれているのです。2節、喜びをもって主に仕えよ。礼拝のことを英語ではサービス、サービングと言います。私たちが神に奉仕することが礼拝だからです。しかしそれは先に神が私たちに仕えてくださったことに対する応答です。私たちが神を知る前に神は命を与えてくれました。私たちがイエス・キリストを信じる前に、イエス・キリストは命を捨てて贖いを果たしてくださいました。私たちが生活に必要なものを求める前から、すべての物は備えられてあります。私たちは真の神に仕えるために週の最初の日にまず礼拝を献げ、そして、神と共に生きるのです。3節は主を礼拝する理由を端的に述べています。主こそ神。太字の主はモーセに現れた「有りて在る」神。主は創造主であり、私たちは主に属するもの、主の治める国の国民、豊かに養われている羊です。体の必要ばかりでなく、魂の必要を日々満たしていただいています。4節、感謝の賛美を献げながら大庭に入れるのは、イエス様が十字架で死なれたからです(マタイ27:51、ヘブル10:20)。永遠にいつくしみと恵みと真実を注いでくださる神を、礼拝して歩んでまいりましょう。