2024.4.14みことばの光


  私たちは新年度「ハイデルベルク信仰問答」を学び始めました。先週は「力強い慰め」と題して第一主日、問1を学びました。問1「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」答「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方はご自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に、万事がわたしの救いのために働くのです。そしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後、この方のために生きることを心から喜び、またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。」  信仰問答を貫くテーマは「慰め」です。しかし私たちは「慰め」という言葉の持つ豊かな意味を見失ってしまいました。現代の消費社会における「慰め」とは実に安っぽい、たよりがいのない、ありがたみの薄いものに成り果てています。
 「慰め」という言葉の本来の意味は「強くすること、元気を出させること、要塞化すること」とクルースター師は述べています。英語のComfortという言葉はラテン語のconとfortisに由来し、fortisには「強い」「難攻不落」という意味があるのだそうです。
 宗教改革者ルターの作った力強い讃美歌「神はわがやぐら」は英語で"A mighty fortress isour God"というタイトルです。fortressは要塞、城塞のことで、これが「慰め」という言葉と本質的に等しいのです。日本語の「やぐら」は火の見やぐらのイメージが大きいですが、戦(いくさ)のための砦(とりで)のことです。守り堅く、攻めにくい、戦略の要所です。この讃美歌は詩篇46篇に霊感を受けた作詞で、その1節は「神はわれらの避け所。また力。苦しむ時、そこにある強き助け。」となっています。「苦しみの時の強い助け」。これが私たちの慰め、キリスト教の信じている神なのです。
 このお方が私たちの生涯にわたる優しく力強い慰め主であることを歌った言葉に詩篇23篇があります。聖書の中でももっとも美しい讃美の歌の一つです。「いのちの日の限り」そして「いつまでも」(詩篇23:6)私たちを導いてくださる慰め主なる神様のことを、深く知るものとならせていただきましょう。(参考図書:『ハイデルベルク信仰問答』/吉田隆訳,新教出版社、『力強い慰め』フレッド・クルースター著/小峯明訳,新教出版社