2026.5.24 みことばの光
先週の祈祷会は詩篇138篇を学びました。ここからダビデ詩篇が8つ続き、詩篇中ダビデの歌の最後の部分となります。138篇はそのスタートです。
背景はダビデがサウル王に命を狙われて逃亡中の祈り。しかし感謝に溢れた清々しさがあります。1節「心を尽くして、私はあなたに感謝をささげます。御使いたちの前で、あなたをほめ歌います。」彼は逃亡中の身でしたが、神への感謝をささげる思いは、大胆で堂々とした姿勢でした。しかし同時に謙虚さがあります。2節「私は、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏し?感謝します。」神の前に首を垂れる、真の感謝は、大胆さと謙虚さを兼ね備えていることがふさわしいのです。
3節「みことばを高く上げられたから」という感謝の理由は、神の約束の言葉が実現し、神の啓示がより明確になったことを意味するとキドナー師は説き明かしています。ダビデは、まだ何者でもない少年の時に預言者サムエルから油注ぎを受けました。イスラエルの王となる約束のしるしでしたが、サウルに命を付け狙われながら神に助けられる体験をしたことは、神が私を王にしてくださるとの確信を強めることになったのではないでしょうか。御言葉の約束は、神が信じる私たちを守り、、、導いてくださるということ。しかしそれがわたしの生活の中で体験される時、みことばは高く上げられるのです。「私を守る」という約束の言葉が、事実そうなのだと実感できる神の啓示となるということです。ダビデはこのような経験を通して3節「たましいに力を与え」られて「強くされ」ていったのでした。6節「主は?低い者を顧みてくださ」るということも経験を通して得た確信でした。「エッサイの子ダビデ」という呼び名は、単に血筋を示すのではなく、何者でもないダビデ、という罵りの思いの込めれた言葉でした。