2024.4.28みことばの光


 詩篇78篇は5ページにわたる長い詩篇なので野田先生は3回に分けて解説しています。しかし長い詩篇には長くされた意味があるので、先日は一回で読み通しました。主がイスラエルの民を出エジプトの時からダビデ王の即位までの長期にわたって導かれたことが実感できました。
 78篇は新約でも複数引用されている重要な詩篇です。一つ目はマタイ13章35節。種まきのたとえのしめくくりですが、主イエスがたとえで教えられることは詩篇に預言されていたことだとマタイは指摘しています。詩篇78:2「私は口を開いてたとえ話を、昔からの謎を語ろう。」マタイ13:35「それは預言者を通して語られたことが成就するためであった。『私は口を開いて、たとえ話を、世界の基が据えられたときから隠されていることを語ろう。』」福音書で、たとえを用いて語られるイエス様の姿そのものが、旧約聖書で預言された救い主の姿だったのです。
 二つ目はヨハネ6章31節です。詩篇78:24,25が引用されています。ヨハネの福音書6章を読む時「そうだ昔神様は出エジプトの民を荒野でマナをもって養われた」と思い出すだけでは不十分です。福音書は、五千人の給食(6:5-15)のあと、なおもしるしを求めた(6:30)ユダヤ人に対するイエス様の返答だからです。イエス様が詩篇を引用されたのは、ただ神が養われた過去を言っているのではなく、神が養っておられるのに、不平を繰り返し、信じようとしなかったイスラエルの民の不信仰を詩篇が非難しているからなのです。つい先ほど五千人の給食という大きな奇蹟を見ながら、なお「どんなしるしを行われるのですか。」(ヨハネ6:30)と問い続けたユダヤ人たちが、如何に癒し難い不信仰の罪の中にいるか、イエス様は指摘されたのです。神の民の繰り返す強情さ、不信仰さでした。そのように詩篇78篇には、民の不信仰、「にもかかわらず」の神の救いの奇跡、この連続が記されて、長大な詩篇になっているのです。
 しかし詩篇78篇は厳しい警告の詩篇であると同時に、暖かく私たちを慰めてくれる詩篇でもあります。神は不信仰の民にあわれみ深くあられ、詩篇の結びでついにイスラエル王国の絶頂期を導いてくださったからです。72節「彼(主の選んだしもべダビデ)は全き心で彼らを牧し、英知の手で彼らを導いた。」突然結ばれる詩篇は、イスラエルの民に、今日の生き方を問うものでした。あなたがたはこの続きをどう生きるのか?私たちは、今日まで憐れみ深く導かれた神に、どのように応えて生きるのでしょうか。