2024.6.23みことばの光
詩篇83篇は、4節のイスラエルを消し去ろうとする敵について「神よ、沈黙していないでください」と神の介入を求める祈りですが、イスラエルについて、今日のイスラエルとは同定できない、正しく理解しなければならない箇所です。長い歴史を通して一貫する神に従う選びの民の守りを願う祈りだからです。神の恵みの約束に立ち、常に神の御言葉に従う民こそ、神の守りを確信し祈ることができる資格を持っているからです。単に「わたし」の利害関係を守るために、神の助けを祈っているのではないのです。2節「あなたの敵」「あなたを憎む者ども」3節「あなたの民」「あなたにかくまわれている者たち」と、「あなた」という言葉が強調されていることからも、それは明らかです。あくまで「神の敵」「神に敵対する悪者」が問題なのであって「私の敵」について私が都合の良い勝利を願っているのではないのです。
5節から11節に登場するカタカナの地名、人物名も馴染みの名前が少ないので理解しにくい箇所ですが、士師記4章から8章を参照すると、引用されている古代イスラエルの歴史がよくわかります。士師記はイスラエルに王が立つ前の時代。イスラエル自体も不信仰を繰り返していたので、周辺の諸外国に敗北するという悔い改めと反省の必要な時代でした。しかし憐れみ深い神は、信仰に立ち返る民を、武力によらず、助けてくれました。戦争に力があるとは思えない女性たちが活躍し、ギデオンの勝利は、わざわざ兵士たちの数を減らして、ただ神の正しい御力こそが信仰の勝利を導くことが明らかにされる戦いとなりました。詩篇の詩人はこのような故事を引用することによって、単に戦争に勝利することではなく、信仰に立ち返ること、霊的な戦いに勝利すること、正義をもって悪に勝利することを神に祈っているのです。
13節以降の祈りの締めくくりは、敵の撤退は願います。しかしそれ以外にも大切な願いがあります。神に喜ばれる祈りを詩人は求めているのです。14節b「主よ、彼らが御名を捜し回りますように。」敵が、神に敵対していては勝利はないということに気づき、正しい神に従い、真の勝利に到達する道はどこにあるのか、主ご自身の御名を求めるようになることこそ、正しい信仰の求めるところなのです。18節「こうして彼らが知りますように。その名が主であるあなただけが、全地の上におられる、いと高き方であることを。」こうべを垂れるべき神を、全ての人が知って、戦争をやめること、平和が訪れること、そのことを私たちは神に祈り求めていかなくてはなりません。