2025.5.18みことばの光

 

 112篇は111篇113篇と共に三つの詩篇でハレルヤ詩篇の一グループを形成しています。111篇では神の「みわざ」が賛美され、112篇では神の「人」「幸いな人」がたたえられています。111篇と共にアクロスティック(アルファベット詩篇)なので、祈りのほとばしりというより、主題を言い尽くそうとする少し技巧的な詩といえます。

 賛美は聖なる神をたたえる歌。しかし実際はもう少し広がりがあり、信仰者がハレルヤ!(主をほめたたえよ!)と神をほめたたえる理由は神以外の事柄も対象になるのです。有力者が神を恐れ、祝福され、堅く立ち、隣人、貧しい人々を助けること、主のように情け深く、あわれみ深く、正しくふるまい、自分のこと隣人のことを公正に取り扱う時、祝福は、地域に広がり、後の世代にまで引き継がれていきます。私たちの生活する社会が、そんな幸いな場所、幸いな人で満ちるなら、私たちは「ハレルヤ!」と神を賛美せずにはいれなくなるでしょう。

 旧約聖書では義人ヨブが試練に出会う前、そのような正しい人でした。そして、試練を乗り越えた後には、ますます正しさを隣人のために用いる人となり、神の祝福をみることとなりました。彼は自分の富をほどこしのために惜しみなく用いる人でした。

 新約聖書では、マケドニアの教会の人々が、貧しさの中で兄弟姉妹を助けたことが特筆されています(第二コリント8:1-5)。そしてコリントの教会の兄姉たちにも、「惜しみなく分け与える」ことが求められ、詩篇112篇が引用され、勧めがなされました(第二コリント9:9=詩篇112:9)。詩篇の言葉は新約のクリスチャンの行動規範ともなったわけです。

 111篇の4節に主のみわざ「情け深くあわれみ深い」ことがほめたたえられていましたが、この句が112篇の4節に引き継がれ、そして5節で、神の人、幸いな人が神の御性質を反映して、「情け深く、人に貸し、自分に関わることを公正に扱う人」になるのです。彼は、「とこしえに揺るがず、覚えられる」「永遠に堅く立ち、栄光のうちに高く上げられる」とすばらしい約束が続きます。詩篇112篇にならい、私たちも「幸いな神の人」とならせていただきましょう。