2025.7.27みことばの光
先週は聖書の中でも最も長い章、詩篇119篇を学び始めました。全176節ありますので幾つかに分けて学びます。なぜ176節なのか。それは、この詩篇の特徴がアルファベット詩篇であり、ヘブル語の文字を文頭に置いた節が、それぞれ8節づつ続くからです。日本語のいろはカルタに似ている、と言ってもいろはカルタなら一つの文字の札は絵札読み札二枚づつですが、この詩篇では例えばアレフ(?ヘブル語の最初の文字。英語のAにあたる。)は8節全てアレフの文字で始まるのですから、全体は長大な詩篇になるというわけです。
それではそんな詩の技法をもってこの詩篇は何を訴えようというのでしょうか。言わずもがな、みことば(神のことば)の豊かさの多面性です。ほとんど全ての節に、「みことば」を示す語がありますから、それを探して拾い読みするのも、119篇攻略の一つの手がかりになります。みことばを示す語は「みおしえ」「おきて」「戒め」「ことば」「さとし」「仰せ」などがあります。「なあんだ全部みことばのことか」と考えると単調な繰り返しに思えるかもしれませんが、その中にキラリと光る豊かなメッセージを見つけることができるのです。最も有名な言葉は105節「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」です。Thy Wordという賛美の曲もあります。
さて本文ですが、最初の1〜8節はアレフで始まる節。ヘブル語の”アシュレー”が「幸なることよ」という意味で、詩篇第1篇と共通するテーマだとわかります。詩篇は私たちを幸いな人生に導くための教え。詩篇119篇は、そのために「みことば」こそ最も役に立つということを徹底的に語ろうとしているのです。「幸いなことよ、全き道を行く人々」。世の中、完全な道などあるだろうか、と私たちは考えますが、聖書は堂々と「全き道がある」、「その道を行く人々がいる」と教えています。その道とは「主のみおしえに歩む」こと。あっけらかんとしています。私たちはそこを歩む人々が、彼ら自身は完全ではなかったけれど、神は絶えず御教
えによって彼らを導き、最後まで守られたと聖書を通して教えられているのです。