2024.5.26みことばの光


  詩篇81篇はユダヤの三大祭の一つ、仮庵(かりいお)の祭りのための詩篇です。ユダヤの暦で第七の月の15日から7日間、祝いの規定が定められていました。今日の暦では10月ごろの祭りになります。仮庵はヘブル語でスコットと呼ばれ、ユダヤの祖先がエジプト脱出のとき荒野でテント暮らしをしたことを記念し、家の外のどこかに、木の枝で仮設小屋を作り、そこで土曜日から土曜日まで、1週間、生活します。
 救いの記念ですから、詩篇の前半は喜びの賛美が命じられます。1節「喜び歌え、私たちの力なる神に。喜び叫べ、ヤコブの神に。」救いの神は歴史の中に力をもって介入された力の神でした。出エジプト記を読むとわかります。民は苦しみの中で叫びましたが、脱出が挫折しそうになると、こんなことをしなければ良かったと繰り返しつぶやきます。指導者モーセを殺そうとさえしました。またモーセはどうでしょうか。若き日に同胞を助けようとして失敗し、ミデヤンの羊飼いになっていました。神が彼を呼び出しても、自分は口べただと繰り返し、神の招きを拒絶します。イスラエルの民がエジプトを脱出して自由な国民となっていく過程の物語が明らかにしていることは、人間の中にその原動力が全くなかったということです。歴史に介入される真の神がおられるのでなければ起こり得ない奇跡でした。海が割れたことだけが奇跡でありません。このようにして古代イスラエルの民は約束の地を目指し、やがては王制国家にまで発展するのです。すべて神の導かれた奇跡でした。民には、この事件を思い出して、神を喜び賛美することが命じられたのです。
 2、3節にはタンバリン、竪琴、琴、角笛も登場します。喜びの賛美は、種々の楽器を用いて、技を尽くして行われるべき礼拝でした。4、5節には「おきて」「定め」「さとし」という言葉があります。いわゆる「律法」のこと。守るべき戒めです。喜びの賛美と戒めの組み合わせは、私たちの日常感覚には馴染みません。喜びの時には、ルールなんて忘れて、というのが私たちの祭りです。しかし聖書の民は違いました。出エジプトの時に与えられた十戒をはじめとする様々な律法、それらの「おきて」こそ、彼らの喜びの賛美の根底を支えるものでした。なぜならそれらの「おきて」は、神が彼らの神となり、民がこの神の民となったことの証拠として与えられたからです。契約書が手元にあるので、契約は有効であることをいつでも証明できるのです。大きな買い物の時には、書類を残しておく必要がありますが、旧約聖書の戒めは、彼らが神の子とされた証明書だったのです。