2026.2.15 みことばの光
先週の祈祷会は詩篇129篇。都上りの巡礼歌は、しばらく幸福詩篇の明るい調子が続いていましたが、再び歴史回顧の雲の中に突入します。何気なく読んでしまいますと、暗い出だしだなあと、好ましい調子は聞こえてきませんが、今現在の信仰の戦いを経験している人にとっては、非常に力強い希望の光を放つ詩篇となります。中心聖句は4節「主は正しくあられ、悪しき者の綱を断ち切られた。」から。 歴史回顧は、2節「私が若い頃から」とありますからイスラエル民族の歴史の初期、すなわち出エジプトの神の救済のころから、という回顧です。時代を越えた「彼ら」なので、エジプトやファラオやバビロンが敵ではありません。イスラエルの民としてはその都度戦争の相手としての敵がいたでしょうが、真の敵はあらゆる試練を通して私たちを神様から引き離そうとする悪魔のことです。創世記の3章が私たちの真の敵、霊的な敵はサタンであるということを教えています。このサタンはその後歴史の表舞台からは隠れていますが、時々、登場します。またヨブ記の初めにおいて、神はサタンに義人を試みることを許されることが教えられています。
人生の苦悩には理由のある苦悩がありますが、理由なく苦しむ場合もあると聖書は教えているのです。
エジプトのイスラエル人の苦しみは、ゆえなき試練でした。129篇の隠喩は、その過酷さ、恐ろしさを、わずかの言葉で印象的に伝えています。しかし4節、主は悪しき者の綱を断ち切られた、ので、現在も新たに続く信仰者の戦いには、勝利の希望があるのです。悪に組みするものは、6節、屋根の草のようになれ。高いところで、日当たりよく育っても、根がない悪は、たちまち滅びるのです。私たちは、信仰による忍耐を働かせなければならないことがあります。