2026.8.30 みことばの光
先週の祈祷会は詩篇147篇を学びました。詩篇145篇から150篇はどれもハレルヤに始まりハレルヤに終わる讃美の詩篇です。私たちの生涯が神への感謝と讃美へ向かうべきものであることを暗示している詩篇全体の構造です。
147 篇は具体的な讃美に進む前に、まず讃美することそのものの素晴らしさを三つの言葉で言い表しています。1節「ほめ歌を歌うのは良い」「まことに楽しく」「賛美は麗しい」。信者でなくても教会の音楽、讃美歌のすばらしさに感銘を受ける人は多いです。しかし教会の歌は、聞くだけに終わりません。参加し私自身が神をほめ歌う讃美に参加することができるのです。そしてそのことを、私たちを造られた神様は求めておられ、喜んでくださいます。「ほめ歌を歌うことは良い」ただ、自分だけが歌って自己満足に終わるのではなく、私たちの讃美を喜んでくださる神様がおられることを信じて、心から讃美の歌を歌いましょう。それは「まことに楽し」いこと。世界中のおよそすべての民族が、自分たちの歌を持っているでしょう。歌と音楽は、神様が信者未信者の区別なく与えてくださったすばらしい賜物です。しかし信仰を共有する者たちが声を合わせて心から歌う讃美にはまた格別な喜びがあります。私たちは確かに信じて心を合わせて歌っているのです。自分一人の信仰は弱る時があります。しかし教会に来て、礼拝に参加すると、無心に讃美している兄弟姉妹から目に見えぬ励ましをいただくことができます。それは本質的に私たちの心の深いところから喜びを湧き立たせてくれます。
そして「賛美は麗しい。」これは外見だけの美しさではありません。別訳では「ふさわしい」という訳もあります。理にかなっているので、麗しいのです。天の父は罪ある私たちが楽園に帰ることができるように、神と共に生きることができるように、キリストの十字架の贖いを与えてくださいました。信じる者を神の子と呼び、身許に引き寄せてくださいます。どんな時もわたしの人生を共に歩んでくれます。そして生涯の終わりには永遠の神の御国に招いてくださいます。この方をほめたたえつつ生きることは、神に造られた尊い存在である私たちにとって実にふさわしく麗しいことなのです。