2026.7.5 みことばの光


 先週の祈祷会は歴代誌第一29章から「聖書に聴」きました。歴代誌は列王記に似ていますが、執筆年代は捕囚期後、エルサレム帰還後と考えられます。旧約原典ヘブル語聖書では第3巻『諸書』に分類され旧約聖書全体の末尾に置かれます。旧約全体のまとめの書物であり、帰還民に神の民としての歴史、アイデンティティーを教え、最重要の務め、礼拝に彼らを促し励ます目的がありました。
 29章は神殿建設の準備を終えようとするダビデの全会衆へのメッセージです。彼は2節「全力を尽くして」神殿建設の準備をした、と告白します。その意味は「痛みを覚えつつ」金銀財宝を献げた、ことであり、4節には夥しい金銀がリストアップされています。ダビデはイスラエル史上最も優秀の戦士で、戦の分捕り物で富を築いたと思われますが、神殿建設のために、犠牲を伴うほどのささげ物を行ったのです。そして民にも「自ら進んで、溢れるほど献げる者はいないか。」と問いかけた時、各部所の長たちが喜んで応じることとなりました。
 前章までで列挙された長たちの名前は無意味でなかったのです。彼らは確かに自らの責任と能力を以って与えられた務めを力を尽くして果たしたのです。この時のささげ物は、後のソロモンの年収やシェバの女王の贈答と比較しても桁違いの金銀財宝となり、確かに神殿建設の必要は満たされました。しかし14節の祈りが重要です。「このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。」ダビデは生涯の終わりに、すべては神から受けた恵みにほかならない、と告白したのです。後にダビデの告白からジョン・ニュートンは賛美歌『アメイジング・グレース』を作詞したのです。