2026.4.12 みことばの光


 先週の祈祷会は詩篇134篇、都上りの歌の最後でした。エルサレム詣(もうで)の巡礼歌と言われるこれらの詩篇の始まりは120篇。メシェクやケダルのようなエルサレムから遠く離れた地で始まりましたが、今や礼拝者はエルサレムの聖所で夕べの礼拝の時を迎えています。
 この詩篇の全ての節にバーラク( 祝福する )という語が登場します。この詩篇の主題といえますが、この語は主に対して用いられる時は「ほめたたえよ」と訳され、民に対して用いられる時は「祝福する」という意味になります。双方に共通するのは「良いことを言う」という意味で、主なる神様に対して良いことを言うことが、「ほめたたえる」、「賛美する」ということ。神が私たちに良いことを言われることが「祝福」ということです。
  私たちが神を賛美する時、神は祝福を返してくださる、これが礼拝の基本構造ともいえますが、キドナー師はその不均等さを忘れてはならないと言います。主なる神様がほめたたえられるのは当然のこと。しかし、私たちが祝福を受けるのは当然のことではないということです。アダムの堕落以前のエデンの園では、賛美と祝福が当然のようにやりとりされていました。しかし人が罪を犯した時、人は真の礼拝、創造主なる神を賛美することを忘れ、同時に神の祝福を失ったのです。神との交わりを回復するために、御子イエス・キリストの十字架の犠牲が必要でした。イエス様が命をささげた時に、神殿の至聖所を閉ざしていた幕が上から下まで真っ二つに裂けました。御子の命の犠牲によって神へと至る道が再び開かれたのです。イエス様は信じる私たちの心の中に住み、祝福を溢れさせてくださいます。主の愛とすばらしさをほめたたえ、祝福の中を歩ませていただきましょう。