2026.4.19 みことばの光
この本は凄い!私たちの教会では映画『ボンヘッファー』を5/31(日)午後1時より上映することが決まりました。牧師はわざわざ長野まで観に行ったのですが、疲れ果てて寝てしまったので、目覚めた時には絞首台という、命懸けの証に対して大変残念なことをしてしまったので、今回は先に購入してリベンジ。改めて見直してみたら、重要なシーンが幾つもあるではないですか。没入することができて、涙を流す箇所もチラホラ。そして、もっともっとボンヘッファーのことを知らなければ
と導かれたのですが、『主のよき力に守られて』ボンヘッファー1日1章という本がありました。訳者の村椿師は先日なくなられた高名な方です。4/12の箇所にヨハネの20章が記されてありましたから、どれどれ、と読みましたところ、ああ、なんと深く正しい教えかと感嘆させられました。やはり小文の初めは懐疑家の問いに始まっていましたが、答えは明確に聖書的でした。要するに、私たちは、経験して、試してみなければダメだと考えるけれど、そうではないというのです。見ずに信じ
ないトマスには正当性がある、疑いは率直であった、と評価しても、「よみがえりの主は、自由な恩恵によって、私たち一人一人を尋ね出し、疑いを解消し、私たちの心の中に復活の信仰を呼び起こす」と断言するのです。「戸は閉ざされていても入って来る主イエス。」?中略?「信仰とは、ただ『神の言葉』のみに注目し『神の言葉』のみによって確信するということである。無数の懐疑家たちは、トマスの歩んだ道を歩むだろう。しかしその疑いは、見たりさわったりすることによっては決して解消されない。その疑いは、ただ生けるキリストみずからの証言によってのみ解消されるのである。」大切なのは私たちが読むことのできる聖書の言葉です。