2026.2.1 みことばの光
先週の祈祷会は詩篇128篇。「幸いなことよ」で始まる詩篇は、幸福論を語ります。礼拝、祈り、とは「幸せとは何かを思い巡らすこと」でもあると教えられます。月曜から土曜までの日々、世の中に私たちを幸せにしようと約束するような様々な宣伝が溢れており、私たちは誘惑されますが、週に一度、神の御前に集い、静まって、目には見えなくとも確かに存在しておられるお方の前で、私たちのまことの幸いとは何か、思い巡らし。御言葉により確信を持つことは大切です。
128篇1節の二行目、「主を恐れ、主の道を歩むすべての人は」は、二つの原則を提示します。一つは主を恐れること。畏れ敬いと言い換えても良いでしょう。神との関係性です。畏敬の念です。マタイ10:28「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。」愛と正義に満ちておられる神を知っていること、これが大切です。神様は愛のお方ですから、私たちをどんな時にも愛し、赦し、受け入れてくださいます。しかし同時に正義をお持ちの方ですから、悔い改めずに悪を行い続けるものをそのままでおいておくことはなさいません。神様は忍耐深い方ですから裁きを控えておられますが、世の終わりには正しい裁きが行われるのです。私たちは人を恐れるのではなく、神を恐れて正義を行うべきです。
主の道を歩むとは、神と向き合う生活の「継続」のことです。歩み続けることです。一歩一歩は何気ないことの繰り返しかもしれませんが、つまずくことなく、道に迷うことなく、目標地点に辿り着く歩みがあります。5,6節は天上のエルサレム(ガラテヤ4:26)を目指す信仰による神の民イスラエルと理解したら良いでしょう。