2024.5.12みことばの光
先週の祈祷会は詩篇79篇でした。南ユダ王国の最期、エルサレムがバビロンによって陥落し
た時の状況を描きつつ、詩人は「主よいつまでですか」と救いを待ち望み祈りました。敗戦の惨状は凄まじく、エルサレムは瓦礫の山となり、遺体が葬られることもなく、空の鳥や地の獣に食い荒らされている(2節)有様でした。遺体がぞんざいに扱われるということは、生きた人の命の尊厳を踏みにじる行為です。あたかも生きていたことに価値がなかったかのようにみなす侮辱的なひどい仕打ちです。
野田先生は「人間の歴史において、戦争のなかった日はほとんどなかった。〜今も戦争が止むことはない。〜人間は変わっていないのである。」と述べ、終わりに「戦争によって苦しめられている人々のために、とりなしの祈りをささげよう。」と結んでいます。 キドナー先生は参照聖句として箴言24章11-12節を挙げ、信仰者が戦争に苦しむ人々についてどのように考えるべきかを教えていました。
「死に渡されるために捕えられた者を救い出し、
殺されようとしてよろめき歩く者を助け出せ。
あなたが「そのことを知らなかった」と言っても、
人の心を評価する方は、
それを見抜いておられないだろうか。
あなたのたましいを見守る方は、
それをご存じないだろうか。
人の行いに応じて、報いをされないだろうか。」箴言24章11-12節
イスラエル軍の空爆にあって、南、ラファまで多くのパレスチナ人が徒歩でよろめきながら逃げ惑う姿が浮かびます。「神様、人々のいのちをお守りください」と祈らされます。
詩篇79篇11節には次のような祈りがありました。「捕らわれ人のうめきが、御前に届きますように。あなたの大いなる力のゆえに、死に定められた人々を、生きながらえさせてください。」どのように祈ったら良いのかわからない時に、詩篇は祈りの言葉を教えてくれます。人に命を与えた神は、その命を守ることでご自分の力と栄光をお示しになられます。「あなたの大いなる力のゆえに、死に定められた人々を生きながらえさせてください」と心から祈らされます。