2025.8.10みことばの光


 私たちの教団(日本同盟基督教団)が歴史を回顧するに当たって重要な節目が幾つかあります。一つは1941年、国家総動員法、宗教団体法に基づき、日本基督教団に加入したことです。この教派合同に至るまで日本のプロテスタントキリスト教会はそれぞれの教団教派で宣教活動を続けていましたが、日本は、日中戦争長期化のため、国家総力戦が目的となり、1938年国家総動員法が成立、翌39年に宗教団体法によって諸教派も合同して戦争協力が求められたのです。日本基督教団が設立され、同盟教団の前身である同盟基督協会は、第八部の構成員となりました。
 一つとされたプロテスタント教会の戦争協力の一部は、日本基督教会大会議長であった富田満牧師の行動に象徴的に現れています。彼は1938年6月末、朝鮮の長老教会の神社参拝拒否を説得するため平壌を訪問、「神社は宗教ではない。儀礼として礼拝するように。」と参拝を勧告したのでした。当時大韓帝国は日韓併合により、統治権は天皇にあり、朝鮮総督府が置かれ、あらゆる方面において日本政府の意向に従うことが求められました。朝鮮のキリスト教会に対しては、神社参拝を日本の教会の代表が説得するという形をとったわけです。
 しかし「神社が宗教でない」というのは子どもにもわかる嘘です。信仰を守り、神社参拝を徹底拒否した朱基徹牧師はやがて投獄、拷問の末、殉死することになります。他方、富田満牧師は、1941年6月24日、日本基督教団の統理に就任、42年1月伊勢神宮を参拝し、日本基督教団の発足を報告、今後の発展を祈願したのでした。報告と祈願の相手は、天照大神。天照大神に、キリスト教団の発展を祈願するという珍妙な事件が歴史に刻まれることになりました。私たちの日本同盟基督教団も日本基督教団の一員としてこの偶像礼拝と偶像礼拝の強要の罪に関わったのです。
 ダニエル書9章5節「私たちは罪ある者で不義をなし、悪を行って逆らい、あなたの命令と定めから外れました。」19節「主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、心に留めて事を行ってください。