2024.9.1みことばの光


  先日は教会学校分級で堤岩里(ていがんり、チェアムリ)事件を取り上げ、インターネット、ウィキペディアに、すでに真実でない情報が掲載されていることを学び、平和夕拝でもチラと触れましたが、その後駒澤姉が、かつて一彦兄の導いてくださった学び会で使われた文献を持ってきてくださったので、そのまま紹介したいと思います。本の題は『日本統治下朝鮮の宗教と政治』姜渭祚著 聖文社 p.52です。<前略>朝鮮におけるクリスチャンに対する抑圧手段の中で、最も悲劇的なものは、ソウルの南、水原(スウオン)の近くにあるチェアムリの村でクリスチャンが虐殺されたことである。朝鮮の有名な長老派宣教師であるアンダーウッドはこの悲劇を詳細に報告している(44)。1919年4月13日、彼と数人の友人は水原を訪ねるためにソウルを発った。彼らは水原に近づくにつれて、大きな煙の雲を見た。アンダーウッドは一人の農夫と会話をかわした。「あの煙は何ですか」「燃やされている村の煙です」「いつ燃やされたのですか」「昨日です」「誰が燃やしたのですか」「日本兵です」「人々は独立を叫んで立ち上がったのですか」「いいえ、ただあの村はクリスチャンの村だからです」(45)
 一行は堤岩里に近づいて、前日の午後、日本兵が到着、すべてのクリスチャン男性は教会に集められたことを聞いた。約30人が集まった時、兵隊は銃で彼らを撃ち、生き残った者たちを銃剣でつき殺した。この後、兵隊たちは教会に火をつけ、立ち去ったという。これらの強圧的な手段は、朝鮮や国外にいる教会の指導者に嘆かれ、批判された。朝鮮駐在のウェルチ牧師は、日本人高官らと親しい接触をもっていたが、東京に立ち寄り、原敬首相に会った。首相の日記が次のように述べている。「私が朝鮮の事件について率直に意見を述べてくれるよう要請すると、彼は、武力支配の厳しさ、憲法や警察の法律を無視した行動、あらゆるところでのクリスチャンに対する圧迫、日本人による朝鮮人差別、教育における差別などを考えると彼は教会の将来について、全く悲観的に思っていると語った」(46)。日本の兵隊、警察により朝鮮クリスチャンたちに加えられた残虐行為は、アメリカ、ヨーロッパの国々に伝えられた。日本官憲は郵便、鉄道、報道機関を支配して、これらの事実を隠そうとしたけれども、<後略>
 ウィキペディアではこの事件が「独立運動の最中に生じた事件。暴動を指揮した29名の朝鮮人が殺害された。としているのです。意図的に事件の本質が隠されようとしているのです。
 「悪魔は偽りを言う時、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だか
らです。」ヨハネの福音書8章44節 (※()の数字は著書の注です。参考文献があります。)