2026.5.3 みことばの光


 今週の祈祷会は聖書通読箇所、第一歴代4章を読んで、その後に恵みを分かち合いました。歴代誌に入って、系図の読解に意欲的な方もおられましたが、精読してみると、マタイ1章の系図とは比較にならない難しさがあります(マタイの系図はスッキリしていて読みやすい!)。特に説明を要する箇所がありましたので指摘しておきます。
 3節「エタムの父の子は次のとおりである。」とありますが、ここは「書記(筆者)のエラー」とのことです。「エタム」は32節を見ればわかるように地名であり、修正するならば、父の前に「フルの息子たち」か「ハレフの子ら」を補うとよい、とのことでした。牧師は自分で系図を書いてみようと意気込んだのですが、時間切れで断念しました。もう少しゆとりのある時に、取り組んでみたいと思っていますが、今回は、聖書学、本文(ほんもん)研究のことを知っていただきたいと思います。
 プロテスタント教会が「聖書は誤りなき神のことば」と信条に掲げる場合、正確に言うならばそれは「原典において」なのです。そして原典そのものは失われています。原典を推測し確定するためには夥しい写本について研究する必要があり、そして原典について妥当な推論をするわけです。もちろん福音の真理が不確かになるほどの問題は無く、非常に古い死海写本の発見は聖書の筆写が驚くほど精確になされていたことを明らかにしたわけですが、箇所によっては破損がひどく、また残っている写本の明らかな間違いを修正するのではなく、伝わっている本文としてそのまま翻訳する誠実さも必要だということです。時に聖書通読、精読には注解書の助けが必要な場合もある、という話でした。