2024.12.15 みことばの光
アドヴェントのシーズンに詩篇98篇を学んだことは、実に時節にかなった幸いな機会でした。この詩篇には、すでになされた神の御業に対する感謝の賛美があり、これから実現する神の御業に対する期待があるからです。旧約聖書の時代には、神様は出エジプトにおいて、また歴史の多くの場面で「奇しいみわざ(1節)」を行い、民を救われました。神の民を苦しめる敵は敗北し、神の民は救われ、解放を経験しました。しかし新約聖書においてもっとすばらしいみわざが行われました。救い主イエス・キリストの誕生、そして十字架による罪の贖い、復活による永遠のいのちの希望が示されました。クリスマスはこの救い、この解放がいよいよ実現し始めた御子イエス・キリストの誕生を祝う礼拝です。私たちを罪から救うお方が、確かにこの世界の歴史の中に生まれ、生き、贖いを成し遂げられたことを覚え、「新しい歌」を喜び歌う者とならせていただきましょう。3節「地の果てのすべての者が私たちの神の救いを見ている。」私たちは、主イエス様の生まれたベツレヘムからも、ローマのバチカンからも遠く離れた極東と言われる地域に住んでいますが、実に多くの人々が救い主イエス様の誕生を祝うクリスマスのことを知るようになっているのです。そしてお祝いすらしているのです。
しかし98篇は過去を記念するだけではありません。4節以下後半は未来を視野に入れています。詩の前半と後半はコインの裏表なのです。後半の賛美を促す理由が、結びの3行にあります。「主は地をさばくために来られる。〜義をもって世界をさばき、公正をもって諸国の民をさばかれる。」イエス様は再び地上に来られると約束して天に昇られました。その時には正義があらわされ、最後の審判が行われるのです。今の時代、世界を見渡すと、なぜこんなことがまかり通るのかと思われるような不正、偽り、争い、殺戮、虐待のニュースに事欠きません。神様は人間に世界を委ねておられます。しかしそれは期限付きのことです。いつまでも悪は野放しのまま、ではないのです。必ず正しい裁きが行われる日が来ると聖書は語ります。希望を失ってはなりません。むしろ清々しい未来がやってくることを期待して、私たちは、喜び歌い待ち望むべきなのです。そのことをこの詩篇とアドヴェントの季節は教えているのです。